写真を撮る                                                               

 

 私は写真を撮る事が好きです。殊に、高山植物の可憐さを愛します。               

それだからといって、しょっちゅう山に登っているわけではありません。

むしろ、一年に一つ位しか登らない、とてもぐうたらな山好きです。

ですから高山植物の写真など、上手く撮れる訳がありません。

では何故、山の花を撮るのが好きなのでしょうか。

 私は若い頃のひと夏、標高2000メートルの山の管理人をした事があります。

その頃は殆どが黒白の写真でした。けれども、8mm のシネカメラも同時に使っていたのです。

きちんと三脚に取りつけて、光を待ち、風を待ち、雲を待ち、実にのんびりと優雅だったのです。

被写体の殆どが、咲き競う花々でした。勿論、フィルムが潤沢にあったとしたら、

とてもあゝはゆかなかったでしょう。いい加減に、行き当たりばったりに映画を撮っていたでしょう。

でもフィルムを買えませんでした。一巻 320秒。せめて一日一本は撮りたかったのですが、

実情は一月に2本位でした。当時(1977)、一本2000円位かかった様な記憶

があります。私の日当は4500 円位だったでしょうか。

 私は高校を卒業してから、基本的には山での生活をしていました。山菜を採ったり、

チップ材を伐ったり、きのこを取ったり。山へ行きたいが為に、会社に勤めている様な不届き者です。

仕方がありません。何しろ、山からの収入では子供を育てて行けませんから。

それ故に、自分の心の中では、原生林で育ち、原生林を徘徊し、原生林で生きてきたと思い込みたいのです。

 当然原生林こそが、一番好きな世界となります。その原生林も少なくなりました。

そこで生活しながら何の目的もないままに写真を撮ってきたのです。山菜といってもぜんまい専門で、

これを採って来ては大きな釜で茹でます。それを手で揉んで、天日で乾燥して、

漸く商品になります。揉んではひろげて干し、揉んでは広げて干す。大変な仕事だと思いますが、

それは母と妻の仕事。準備や後片付けを含んで凡そ二十日間ですが、

山国の人間にとっては重要な現金収入です。

僅かな収入の中からフィルム代を捻出するのは容易ではありません。

それも、全くの道楽なのですから、家族には申し訳なく思いつつ、カメラをぶら下げて入山するのです。

しかし、良く撮れたなぁと思える写真がありません。情ない限りです。

 

 私は殆ど標準レンズ一本を使います。携行するに大きなものは不便です。

その意味では使えるものが、タムロンのマクロ 90mm しかありませんでした。

このレンズは割合に小さくて、しかも柔らかな描写が気に入っていたのです。

それ以前には85mm一本という時代もあり、この焦点距離帯には馴染んでいました。

或る日、ゼンマイを採る為に径を伐り開きながら進んで行くと、随分開けた谷に出ました。

概ね28mmの世界です。これを90mmで撮るのですから、全体の拡がりは写りません。

 私は、その時々に装着してあるレンズを、全く信じ切って使う事にしています。

広角があれば、望遠があればと、たまには思うのですが、

無いものはないとして割り切る習慣が出来ています。これは貧乏人の特権です。迷う事が無いのですから。

それで、90mmで風景を切り取りながら撮っていたのですが、

その開けた谷の中で、ピントリングが故障してしまったのです。

これは大変だとばかり、帰宅してバラしてみると、

原因は小さなビスの先が摩耗して利かなくなっていたのでした。最早組立不可能の状態。

しまった、明日から使うレンズが無い。

ところが良くしたもので、タクマー258mm を、変換リングを着ければ使える事に思い当たったのです。

勿論自動絞りだの開放測光だのは使えないのですが、懐しのレンズ復活の日でした。

このタムロンは残念でしたが、この事以後不安があって、一本も買った事がありません。

タムロン社には申し訳ないのですが、使う時にはガタが来たら注意せよと宣伝してしまいました。

ビス一本の摩耗の為に、このレンズはバラバラのまま、机の引き出しの中で眠ってしまいました。

タムロンの技術屋さん、御免なさい。 

 久し振りにタクマーを着けると、初心に帰ってしまいます。使っていたカメラはペンタックスLX。

良いカメラです。あの時の事はよく憶えています。

1982年の 5月です。雪渓や花の写真を撮っていると、カモシカが目の前を横切りました。

目の前といっても、50m位は離れています。その翌日、4/300mm を着けて、

これは襷掛けでは歩けませんのでリュックに入れて行きました。昨日と同じ所でカモシカに出会いました。

待て待てと大声で呼び止めながら、大慌てでカメラを取り出してシャッターを切りました。

絞りは 8、シャッターはオート、ピントは大体無限遠にセットしておいたので、

僅かにピントを合わせ直すだけです。ところが、(何と多い、「ところが」なのでしょう。)

フィルムを現像する時に失敗しました。ちょっと油断したのか、真っ黒い様なネガにしてしまったのです。

当然ざらざらした写真になりました。この谷へはその後一度も行けませんでした。

 こんな失敗談は数限りなくあります。今となっては本当に良い思い出なのですが、

お金を出すわが家の大蔵省としては面白くなかったでしょうね。

せめてもの償いに、時々は家族の写真を撮っています。

ところが、例えば千葉の叔父さんが撮ってくれる写真とは段違いの写りの悪さなのです。

大蔵省としては、最早諦めてしまっているのでしょう。

何等の苦情も言わないし、私が時々買ってくる写真の本を見ても文句は言いません。

 

 これだけ山の中で暮らしていて、社会問題になっている自然に就いて何か一言無いのかといわれます。

当然あります。遊びに来てゴミを沢山散らかして行く者、ゼンマイを盗みに来る者、きのこを盗みに来る者。

その根底は人の心の貧しさです。

奥只見のイヌワシ問題にしても、余りにも無駄な消費をしている都会の人々の、心の貧しさが原因です。

その貧しさに群がる、更なる貧しさがあります。

大きな工事があればときに自分の懐が潤う、「欲」という心の貧しさです。

私は、チップ材を伐っていた時に、自然破壊の張本人だと言われた事があります。

頭に来て、廃業しました。然し、私達は山というものを、原生林の事をよく知っています。

紙や電気を大量に無駄遣いしている役所や都会の人達の陰に、

その生活の利便さの犠牲になる山の住人がいます。

勿論この住人の中には、熊や鳥も入ります。

自分の知らない世界を、ろくな知識も無いままに批判する人種が、何と多い事かと思いました。

心が貧しい人種です。人の心の貧しさこそが自然破壊の源だと、私は思います。

義務を忘れ、権利のみを主張し、未来の事は考えない、傲慢という心の貧しさです。

不便な生活の中からは、驕慢も傲慢も生まれません。山や森を知らない者が、知らない事

に口を出す、これは傲慢です。私はその典型に出遭った事があります。

 或る自然保護団体が、登山道のゴミ拾いをしながら越後駒ケ岳に登りました。

私も地元代表という事で引っ張られました。

中には登山道から外れた湿地の中のゴミを、得意満面で掘り出してくる人がいます。

或は、湿性の草原を踏みつけながら歩き回って、

やはり半分埋もれて腐った空き缶を掘り出してくる人もいます。

亦、登るだけで精一杯、全く役に立たない人もいます。

彼らが山小屋迄に拾い集めたゴミは、何と四貫目も入る袋が十数個もあったのです。

当然それを背負い下ろしてくれるものと思っていましたし、亦実際に持って帰った人もいましたが、

彼らが下山した後の小屋の脇は、大きなゴミ袋でいっぱいでした。

呆気にとられた私は、多分何を言う気にもなれなかったでしょう。

一日一往復しか出来ません。背負って登山口のゴミ箱迄運びました。

袋を二つ背負うと、八貫目にもなります。

勿論ゴミを捨てて行く登山者は悪いけれども、

私には偽善とも言える様な行為を得意顔で行う者達の方が、人間から遠い存在だと思ったのです。

彼らは、集め続けたゴミを私の所へ持って来て、「管理人さん、ゴミ箱はどこですか」と言うのでした。

この言葉で、最早何も言うまいと決めたのだと思います。

毎日運べるわけではないので、そのゴミ袋が小屋の脇から無くなるのに、一月以上かかりました。

大鎌を持って登山道の整備に行く時は、カメラを連れて楽しく仕事が出来ますが、

このゴミ問題の解決には、とても悲しくてカメラは一度も連れてはゆきませんでした。

この頃から、自然保護という言葉や団体を信頼しなくなったと思います。

今思えば、あの時の記録を写真で残すべきだったと思います。

鳥や蝶のの写真を撮る為に、生態系を荒らし、或はいじめるカメラマンがいるそうですが、

到底人間業とは思えません。

 私は知っています。写真を撮る為に草履に履き替え、出来るだけ石の上を歩く人を。

小学生の息子に菷を背負わせ、泊まった山小屋の掃除をして帰る人達を。

私もそういう人になりたい。彼等が、大見栄をきって自然保護などと言うのを聞いた事はありません。

山に対して、非常に謙虚です。

繰り返しますが、人の心の貧しさが憂国の原因であると思いますが、

その解決法や社会問題を追及するのは、此処で扱うものではありません。

 

 私が初めてゼンマイ採りに入ったのは、会津の白戸川でした。

一日がかりで峠を越えて山径を下ると、幅6m位の、小さな川に出ます。それが白戸川です。

イワナが沢山いましたが、釣りの下手な私は、父の分、母の分、私の分、と三匹釣っておしまいです。

食べるものが無くなると、釣りに出るのです。

ゼンマイの季節が終わる頃、三人でイワナ釣りに出かけました。

雪渓直下の渓流から今一匹のイワナが釣り上げられようとしていて、

竿を持つ父の横に母が立っている写真があります。

或は峠の上で雪に降られて佇む両親の写真も撮りました。

とっても足が冷たかった記憶ですが、母は地下足袋が嫌いで、わらじを履いていました。

若かった両親の姿です。現在の私はその頃の両親よりも年をとりました。

この、雪に降られて冷たかった峠からは、奥只見ダムが見えます。とても美しい風景なのです。

その頃のカメラはペンタックスAP。寒さでシャッターが時々落ちなくなるカメラです。

レンズは 258標準。風景というものは、なかなか綺麗には写ってくれません。

そこで思った事は、自然の一部を切り取っての写真なのだから、

いっそ思い切って皆捨ててしまえという事です。

そう考えると、気が楽になりました。一部分だけを撮ればいい、枝や樹が邪魔ならば、自分で動けばいい。

工夫すれば良いんだと。交換レンズは、特殊な撮影以外には必要とせず、

標準だけで良いのではないかという事です。

これは、物を持たない者の屁理屈ではなく、本当に大切な写真の撮り方だと思います。

 誰も訪れ来る者のない原生林での、一ヶ月余りの生活はとても苦しいものでした。

それでも、冬も半ばになると無性に山が恋しくなるのです。

そしてまた、出来るだけの無理をしてフィルムを買い、ゼンマイ採りに入るのです。

一冬出稼ぎに出て、露出計付きのペンタックスSPを買いました。

今度はカラーフィルムも数本買って、カラー写真も撮りました。

露出の揃ったネガと綺麗な印画、感激ものでした。でも写真の内容迄変わる事はありません。

その頃、タイムライフ社からACPというカラー写真の会に入会させて戴きました。

写真を撮ってフィルムを送ると、現像焼付しておまけに同じフィルムを無料で貰えるのです。

そして、フィルム一本毎に、先生が批評をしてくれるのです。私は武藤先生の批評が大好きでした。

カセットテープに吹き込まれた先生の声は温かく、よし頑張ろうとの思いを新たにしたものです。

ある日父が、薫製にする為に釣って来て、草の上にひろげたイワナの写真。

この批評テープは殆どイワナ談議でした。

とても暖かい、本当に先生というよりもまるで良い先輩の様に思ったものです。

然しこれも資金の関係で長続きせず、いつしかフィルムを送れずに、黒白の写真に帰りました。

今度は友人達がトライXの長巻きを小分けにして安く売ってくれました。

イワオカメラさんの厚意と協力を仰いだという事でした。

引伸しのレンズも、「仁一さん、ニコンが良いよ」と、教えてくれました。  

この仲間達から、写真のいろいろな事を習いました。

相変わらず山では背に荷物が括り付けられていましたが、

武藤先生の声にも増して写真を撮る事への励みになったのです。

 

 喫茶店「COM」という所が、私達の溜り場でした。

何かにつけて、時には仕事をさぼってCOMで写真談議をしていました。勿論その他の話もしました。

或る時、マスターと漫画の話になって、益子かつみという漫画家の、「サイコロコロ助」の話になりました。

何と、彼はその単行本を持っていると言うのです。手塚治虫の「スーパー太平記」という漫画についても、

子供の頃の記憶だけの私に、その題名を教えてくれました。

そんなにも話の分るマスターでした。勿論音楽の話から小説の話まで、幅の広い人でした。

彼と、カメラの話になった事があります。彼には、ニコンにあらずんばカメラに非ず、

という自論があった様です。こちとら貧乏人ですから、ペンタックスを使っていました。

ニコンF2 中期の時代です。

どうも、その頃には既に、ニコン神話らしきものが田舎の町にもあった様でした。

私は前述の様に、ろくな写真を撮っていませんでしたので何とも反論が出来ません。

そして彼らの写真は、レンズ以前の問題としての、心にピンと来るものがありました。

こりゃぁ到底及ばねえや、と思ったものです。然し、私としてはちょっと悔しいのです。

では如何すればいい写真が撮れるのか、良い写真というのは一体どんなものなのか、と考えました。

そもそも写真とは一体何なんだろうか、と考えました。私の頭の程度では何も考えつく筈がありません。

随分困りました。その頃の仲間うちでは、キャノン一人、コンタックス一人、ペンタックス一人、

他の何人かは全部ニコンでした。1999年現在、私もニコンを使っています。

然し、私はライカ神話やニコン神話が必要だとは思いません。

カメラやレンズは、自分にあった物が良いと思います。

私は、偶々マイクロ・ニッコール 55mmが性に合いました。

勿論ローライ製の ゾナー 2.8 85 も良かったし、タクマー 4 35 も良かったのです。

レンズについては私が使ったものだけに関しての、強い思い込みによる持論があります。

誰が何と言おうが自説は曲げない、というもの。それはおいおい披瀝する事として、山の話に戻ります。

 

 私の住む湯之谷村に、銀山平という所があります。その或る沢筋の支流に、

ぶなの大木に囲まれた水芭蕉の群生地があります。ゼンマイを採る為に入った所は、

まるで絶壁ともいえる山でした。

そこは50メートル位の細い滝があって、漸く這い上がってみると、その源流が水芭蕉の原生林なのです。

その時、カメラを持って行くのが躊躇われたので、

途中の木の枝に引っかけたままそこに置いて行ってしまいました。

それで、水芭蕉の群生を見つけた時には、しまったと、思ったのです。

やっとの思いで登ったのですから、引き返してカメラを持って来る元気はありません。

その風景を目の当たりにして初めて、15mm位の超広角が欲しいと思いました。

多分、20mm程度では如何ともその雰囲気を表現出来ないだろうと思ったのです。

この情景は、切り取りたくはなかったのです。その後、コンタックスの 1が発表されました。

あの幻のホロゴンが復活したのです。私にとっては雲の上の花です。

悲しいかな、到底手が届かないのです。

では、どうしても「超広角」でなければいけないのだろうかを考えました。

あれから十年近く経った今、手元には叔父さんに買って貰ったた24mmがあります。こ

れで何とか出来ないのでしょうか。

現地に行かなければ何とも言えませんが、私はなるべく湿地には入らないので、

撮影地点という所が限られます。その限られた地点を思い出してみると、

やはり、かなりの広角でなければ雰囲気が出ません。

鬱蒼としたブナ林全体と、それに囲まれた水芭蕉の群落を全部写したいのです。

ですが実の所、カメラを携行するにはどうしても径を伐らないと不可能なのです。

そしてそれは、大変な仕事なのです。どうすれば良いのか分りません。

然し何時か必ず、という思いは強く保存しておきましょう。

 この時の様に、この被写体を撮りたいからこのレンズを使いたい、と強く思ったのは、初めてでした。

それ迄は、諦めたり開き直ったり、また自分なりの方法論を作ったりしたのでしたが、

やはり15mmを使いたいと思ったのです。

これは、私にとっては一つの進歩の様に思えました。このレンズを使いたいという事。

手持ちのレンズで工夫する事。この二つの考えは、相反するのではなく、両方が成り立つものだと思います。

最近、コシナから、ヘリアー15mmが発売されました。初めてさわったカメラが、父のベッサでした。

フォィクトレンダーのロゴが、好きでした。何というレンズだったか忘れましたが、11cmの標準でした。

ヘリアーという名前は後年になって知ったものであり、テッサーと共に憧れのレンズとなったものです。

コシナ製であっても、大変魅力的な事ですが、今の私には資金がありません。

先ず、もう一度現地へ行ってみる事から始めたいと思います。

 

 私には毎週の如くに登山をしていた時期が、三年位ありました。殆どが単独で、しかも大体上越国境の、

家からは割合近くの山でした。

その頃、ペンタックスLXを買ったばかりで、これは良いカメラだと思いました。

勿論ケースを買うお金まではありません。

いつも裸で持ち歩きました。朝露に濡れて、雨に打たれて、岩にぶつかり樹にぶつかりして、

それでも私の体にくっついていました。

レンズは、暫くするとマクロ450 が無くなったので、

( これは、ペンタックスMXと共に、父がどこかに置き忘れてきた。)その後は、

まだ愛用していたタムロン 2.5/90 一本だけを使いました。

後に、4/300 A★ が加わります。

山径ですので、私はしょっちゅう道に迷いました。ところが、実は私は、方向音痴だったのです。

知らないという事は恐ろしいもので、時々は人の知らない、素晴らしい所に出くわします。

幸運という以外に何とも言えません。けれども、なかなか写真としては幸運ではないのです。

何故でしょうか。

 私は、大抵その日の朝に、使用レンズを決めます。一日の行動の内容と、

多分出遭うであろう花や風景を予想して、それに合うレンズを一本選ぶのです。

と云ってもその頃は、使える状態のレンズは、タクマー2/58意外では、一本なのです。

 その日は、平ガ岳の麓でゼンマイを採る予定でした。仕事ですから、登山の目的はない

のですが、それでも行ける所迄行ってみようと思いました。

握り飯を一個握って。レンズは、花の写真が多いだろうとの予測で、1/2 倍迄の接写ができる90mmです。

タムロン社の、これは良いマクロでした。一時間位歩くと、大きな滝に出合いました。

水の量から判断して、この滝が本流だと思いました。

そしてどうにか滝を越えようとした頃、どうもあの大きな滝の音が随分小さくなっている事に気付きました。

滝を巻きながら、どうやら尾根に出てしまった様です。

勿論道など無い山の中ですから、そのまま藪をかき分けて見晴らしの良い所へ出ようとしたのです。

その途中で、素晴らしく大きな石楠花の木に出合ったのです。

幹の胸高直径約 20cm、高さ3メートル、全体の大きさは六畳の部屋位の体積です。

それにびっしりと花が咲いているのです。然し、間近でなければ全体が見えず、

少し離れると藪に隠れてしまうのです。 90 mmではその十分の一も入りません。

1メートル位の距離から、90mmで何枚かを撮り、気づいたのです。

この向こうの尾根からは全体が良く見えるだろうと。そして90mmでぴったりの画角になるだろうと。

その向こう側の尾根というのは、直線で 40〜50m。沢に下りて又登るのです。

諦めました。それは兎に角、私もこれ以上登るのか引き返すのかを決めなければなりません。

握り飯を食って、煙草を吸って、引き返す事に決めました。

所が、滝を巻き巻き来てしまった所なのですから、同じ所を通って引き返せるという保証はありません。

岩壁というのは、登っても下りられる訳ではないのです。

取りあえず、この尾根を下る事にしました。前が見えない藪の中をどんどん下ると、漸く滝の下流の雪渓に、

無事辿り着いたのです。ほっとしました。岩壁にはタテヤマリンドウの花が沢山咲いていましたが、

三点確保でなければ、とても怖い所です。

リンドウの写真は撮れませんでした。この日の反省は、方向音痴の事についてではありません。

写真を撮る為に行ったのではないのだから、せめてゼンマイを少しでも採るべきだった事です。

後にこの滝へは、父と二人で行きました。わさびの苗を沢山持って、

それを植えてまわりました。これは何処の山に入っても、必ず行う行事の様なものです。

父は、この付近の幾つかの沢に、イワナの稚魚を放しました。この滝の下流にも大きな滝があって、

イワナは上る事が出来ず、このあたりにはイワナがいなかったのです。

何年かの後、随分増えて、小さな淵ふちには八寸位のイワナが必ず見えました。

たまには釣ってと思ったのですが、釣り糸も針も持ってはいません。

私は魚釣りがとても下手なのです。食わねばならぬ、という時にしか釣りません。

用意などある筈が無いのです。ところが、このイワナの写真を撮りたくなったのです。

さてどうしようかと暫し腰を下ろして考えました。

そうだ、ナイロンの袋にカメラを入れたらどうだろう。

ぜんまい小屋に帰ってあれこれ捜すのですがどうも使える様なものがありません。

この時も諦めました。どうやら、「諦める」という行為に、何等の罪悪感も持ってはいない様なのです。

因に、今この滝へ行こうとすると、多分、歩いて7〜8時間かかるでしょう。林道が全くの藪に覆われて、

歩くしか方法が無いのですから。

 

 このお話は、時間の流れとしては行ったり来たりで、時の経過と共に綴られるものではありません。

思い出した事、印象に残った事、思い付いた事などが、何の脈絡もなく綴られるものです。

それは、別に本文の内容に影響はありません。

 

 1986年だったと思います。ぜんまい採りに、ローライ35Tだけを携行していました。

シンガポール製です。小さくて「いつもポケットにローライ」だったのです。

この時はまだケースに入っていたと思います。レンズキャップも、健在だった様に思います。

やはり銀山平の、下荒沢という沢に入りました。

初めて入った所なので、何処にぜんまいがあるのか分りません。

父と二人であちらこちらと歩き回りました。

それでも一応、山の経験者ですから、大体どんな所にあるのか位は分ります。

然し、群生していなくては商売にならないのです。

いつしか、探険隊になって、3040m位の良くある規模の滝の下に出ました。

雪渓の上に立つ父を一枚、はいパチリ。天気は薄曇りです。とても良く写りました。

川原に群生しているエンゴサクの向こうに、残雪の荒沢岳。はいパチリ。良く写りました。

 このカメラ程、長い時間を山の中で過ごしたものはありません。何年間だったでしょうか。

とにかく、壊れて、修理して又壊れる迄、殆どが山の中で使われました。

勿論、他のカメラも使いましたが、必ず、身につけていました。それだけ気にいっていたのです。

これを買う迄は一眼レフだけでした。最初はなかなか戸惑いました。

このカメラは、ファインダーでは構図が決められない、と思っていたのです。

ところが何本か撮るうちに、実画面とファインダーとの間にずれが感じられないのに気付きました。

これは、このてのファインダーを見くびっていたからに違いありません。

構図、などと言うと生意気かもしれないのですが、

私はファインダー画面で構図を決めるものと思っていました。まぁ、今だってそうなのですが。

ところが、いつの間にか、景色を見る、構図を決める、ファインダーを覗く、シャッターを押す。

どうも変だなぁ、何か順番が違うぞ、と気がつくのは、一眼レフを使った時だけなのです。

景色を見る、ファインダーを覗く、構図を決める、露出を決める、ピントを合わせる、シャッターを押す。

次にローライを使います。またしても、ファインダーを覗く前に構図が決まってしまいます。

40mmというレンズが、私の頭にぴったりと合うのでしょうか。そんな事はないと思います。

となると、ファインダーの調整の信頼性はともかくとして、

ピントを合わせるという行為の有無に関わりがあるのでしょうか。

いくらローライだって、ピントは合わせたなぁ、目測だけど。

然し一連の動作の中で、今思い出すとピントを合わせるという段階が見つからないのです。

いつピントリングを回していたのか、全く記憶がありません。これは不思議な事です。

何処かほんの少しの部分でも良いから、操作が複雑になってもいいから、

このカメラにピントを合わせるものを作ってくれ、とローライジャパンに要望した位なのです。

後で分ったのですが、イギリスのカメラで、私の提言と同じものが、昔の時代にありました。

それはともかく、あれほどにピントを重要視していながら、ローライに限り、ごまかしていたのでしょうか。

まさかそんな事はないでしょうが、多分このカメラに習熟したという事ではないでしょうか。

自分で言うのも何ですが、写真の内容はともかく、シャッターを押す所迄は熟練者だったと思います。

自分でも気がつかないうちに、景色を見る、構図を決める、レンズを引き出す、

シャッター・絞り・ピントを合わせる、ファインダーを覗く、シャッターを押す。

下線部が、無意識下での動作です。小さいカメラですから、手に馴染むという事はなかったと思います。

思い出してみると、然し、完全に馴染んでいたのでしょう。

無意識で操作できるという事は、偉大な事と思います。

息子にも今のカメラに、それだけ手に馴染んでほしいと思います。

ただ、花の接写が出来ないので、万能カメラではなかったのです。ローライジャパンに要望したのは、

例えば接写レンズをねじ込んで、花の接写ができればなあという思いからでした。

 

 では、理想のカメラ、第一弾。

基本ボディ:ローライ35, TTL・AEは、ペンタックスLXと同じフィルム面測光。

その他に、ローライ35の機構をそのまま残す。即ち、レンズシャッターと沈胴レンズ。

ペリフレックスの様な、潜望鏡式の合焦機構を付ける。レンズ交換可能。ファインダーは、

画角切替式。ストロボのコードを差し込める事。以上。

 

 此処で一つの反省があります。それは、一つのカメラに何を求めるかという事で、

何でもかんでもを求めるのはいけないという事です。

それは、写真を撮る姿勢という事にも繋がります。何を撮りたいのか、どんな写真にしたいのか、

という事を、撮影の前に決めておく必要があると思うのですが、

何でも出来るカメラというのを持つと、それに甘えてしまう事になりはしないだろうかと思うのです。

カメラは、あくまでも写真を撮る道具なのですから、どんな事でも出来るカメラであっても、

今のところかなり大きく重い物になると思うのです。

それは、写真を撮る、という行為に大きな負担を強いられる事です。

出来れば、機械は単純で丈夫な物が良いと思います。

そして、使い易い事、撮る事に専念出来る事。

然し、自分で撮りたいと思う物が多岐にわたる場合、夫々の被写体用に夫々のカメラを用意する事は、

普通の人には資金面から負担がかかります。

それで、万能カメラという物を期待してしまうのです。少なくとも、私の場合はそうなのです。

では、撮りたいと思う物を自ら制限するとどうなるでしょうか。

例えば水中写真の専門家とか、動物写真の専門家ならば、必然的に機材の選択は容易になります。

然し、野次馬的なアマチュアであればこそ何でも撮りたいと思うのではないでしょうか。

やはり、被写体を制限する事は、精神的なストレスが発生するでしょう。

この辺りの折り合いをうまく付ける人と下手な人とで、

写真の出来不出来が分れるのではないかと思われます。

例えば、今日は子供の運動会だから、一つ子供の活躍を撮ってやろうと考えたとします。

様々な撮影要素を考えると、最新式のオートフォーカスで、然もキャノンの手振れ補正レンズがあれば、

そして自動巻上も早い物、詰まりは報道写真家の様な装備があれば一番良いでしょう。

所謂万能カメラの様な物です。然し、子供の誕生会の様な記念写真ならばそんな物は必要ないでしょう。

私の様に無精な者は、軽くて小さくて、接写が出来さえすればいいのです。

ではそんな私は、運動会の写真を撮らないのでしょうか。そんな事はありません。

何でも撮る野次馬です。ですから、「理想のカメラ第一弾」などという希望が現れるのです。

結局は、いつまでも「良い写真」が撮れない人のままなのです。

 反省するに、このカメラで何が撮れるか、というよりも、

何を撮りたいのかという目的を持とうという事です。そこから改めて、写真を撮り続けたいと思います。

それが何か、と言うと、前述した水芭蕉の群生に代表される、山の中の自然全般を、

仕事をしながら撮るという事になります。では、どんなカメラが良いかという事になると、

やはり欲がでてきます。

 軽くて小さいもの。

 マクロレンズが使えるもの。

 携帯し易く、扱い易いもの。

使った事はないのですが、オリンパスOMの一桁シリーズなどは良いと思います。

それはさておき、以上三点が、私にとっての必要最小限であると共に、必要最大限という事になります。

その点から考えると、ニコンFは、この条件に合わないのですが、

やはり私は、使い易いという事でこのカメラを使い続けると思います。

 

 では、レンズについてはどうなのかという事を次に述べたいと思います。

世界中で最も人気のあるレンズというと、一体どこの何というレンズなのでしょうか。

例えば、タムロンの「ありがとう、100 万本。」という広告があります。

100 万本という事は、決して少ない数字だとは思いません。所謂ベストセラーでしょう。

ということは、最も人気があるレンズと言ってもそう的外れではないと思います。

一番多く作られるレンズは標準であると思いますが、それらを除いては、

多分人気ベストテンに入ると思います。

使った事のない私には何とも言えないのですが、ではそれが最も良いレンズなのでしょうか。

カメラ雑誌での使用速報とか診断室などで、ある程度の情報は入ります。

そしてその報告書はかなりの信頼性があると思います。

私も、これらの記事を参考にしてレンズを選ぶ事があります。

例えば、万能に使えると思って買った、ニコンの24〜120mmズーム。

一度会社の旅行に持って行ったきりで、全く出番がないのです。重い、長い、暗い、接写が出来ない。

また、焦点距離に依ってF値が変わるので使い難いのです。

然し、こういう考えは一所懸命に作って下さった技術者達に対して、非常に失礼です。

自分でそれを活かす技術がないのですから、実は文句を言ってはいけないのです。

大枚を叩いてやっと買ったレンズは、工夫して最大限に活かさなければ、技術者達に対して失礼です。

然し、我侭は承知で希望は持たなければなりません。

 では、私が撮りたい写真、という観点から選ぶとすれば、どんなレンズになるのでしょうか。

先ず、軽くて小さい事。使い易い事。携帯に便利である事。カメラと同じ条件が出てきました。

然し、レンズに話が絞られると、とてもそんな事では納得がいかないのです。

性能が大きくものを言います。少なくとも四つ切りに引き伸ばして文句が無い事。

これは第一条件です。ピントが合わせ易い事、第二条件です。ボケが綺麗な事、第一条件の上です。

私はこのボケ方に非常に拘ります。きれいな花の近接写真で、後ろのボケが汚いとがっかりします。

例えば、風景写真には使えても接写には使えないと謂うレンズは、私にとっての万能レンズではありません。

すると、使ってみなければ実際の所は分らないという事になります。

雑誌のリポートとは違うという事で返品を受け付けてくれれば良いのですが、

そんな事は余程でなければしてくれないでしょう。

やはり、一駒撮りでも良いから、実写使用出来る制度と謂うものがあって欲しいと願います。

レンズについては、私は自分で使用したもの以外の評価が出来ません。その中で特筆物が一本あります。

誰もが意外と思うものです。それは、ロシア製のインダスター 3.550です。

これは、所謂風景写真では抜群の性能だと思いました。

発色から分解能、コントラスト迄、文句がありません。

単層コートの一見ちゃちなレンズが、何故、と信じ難かったのです。

更に驚きは自乗されました。このレンズを、ペンタックスに着けて片栗の花を接写したのです。

なだらかなボケ具合と、ピントの良さに、あっけに取られたのです。

ロシアのレンズは「単品物」と言われる程、固体差があるという事ですが、

これ一本限りの使用では何とも言えません。又、私ごときが言うべきではありません。

然し、それにしてもこのレンズには驚きました。

但し、これはLマウントなので、他のカメラに転用するには変換リングを使う必要があって、

不便ではあります。例えば、これをニコンに使えないものかと雑誌の広告などを丹念に捜すのですが、

どうしても発見出来ません。

小さいレンズなので、ちょいとポケットに入れて持ち歩くにはとても良いと思うのですが。                                                         

このインダスター 3.550こそが、今のところ私にとっての最高のレンズです。

素晴らしい。然し、何と言ってもそれぞれのレンズは、

夫々の設計製造に携わった方々の思いがこめられている筈です。軽々しい批評は出来ません。

  HOVE FOTO BOOKRussian and Soviet Cameras と謂う本に、このレンズは、1960年

頃、ゾルキーに搭載という記述がありました。

 

 理想のレンズ第一弾。

  等倍迄接写可能である事。

    小柄で、逆光に強い事。( 但し、このインダスターは盛大にゴーストが出ます。)

  ボケ味が良い事。

 

 もう一つ、お気に入りに、マイクロニッコール 2.8/55 Aiがあります。

私にとっての万能レンズです。

そもそも万能レンズという考えは、お金の無い私にとっては必然的な思想でありました。

一本で何でも撮れるというのは、カメラの所で反省したにも拘らず、やはり魅力的なものです。

以前も、ペンタックスのマクロ標準を使っていました。

例えば、これにキャノンの手振れ補正機構が付くと、もう百点満点です。

キャノンを使った事の無い私が、キャノンに申し訳ないのですが、

ニコンのレンズにこの装置をつけて欲しいと願わずにいられません。  

キャノンノ手ブレ補正レンズハ、ビデオカメラデ使ッテイテ、ソノ価値ハ十分承知シテイマス。

 

 理想のレンズ第二弾。                                                         

  15mmから150mm位のズームレンズである事。

  明るさが全域 2.8 程度ある事。

  大きさは、縮長5cm位である事。

  等倍前後迄全域接写出来る事。

  更にボケ味が良く、逆光に強く、シャープに写る事。

      思いっきり欲ばりました。

 

  万能レンズという思想を増長すると、創意工夫を怠る虞が出てきます。

しかし、それは私だけの事かもしれません。能書きを言えば、写真を撮るという事に情熱を注ぐには、

やはり自分の頭と足で稼ぐという基本を忘れてはいけません。

技術の進歩発展は望む所ですが、この所を誤らない様にしなければなりません。

例えば、標準一本しか無いのですが、どうしても星空を撮りたいとなると、

私の先輩的な友人はフィルムの選択をしなければならないと言います。

三脚も、本当は一等経緯儀の様な物が必要なのでしょう。

然し、私は雰囲気さえ撮れれば良いのですから、フィルムの選択だけで間に合うとします。

 それにしてもファインダーでの星空の構図決めには苦労します。

明るい星しか見えないので、どこからどこ迄写るのか、また、どこからどこ迄が一つの星座なのか、

分らないからです。

ライカの様に、アクセサリーシューに単体のファインダーを着けられると誠によろしいとは思うのですが、

それも金のかかる事です。出来ればライカに35mm位のレンズをつけて、

単体のファインダーで構図を決めたいのですが。 

 

 私の写真に最も重大な欠陥があると考えられるのは、

構図や被写体の選択の他に、露出の最適化がはかられていないという事です。

これは、原因がはっきりと分ります。露出計を持っていないという事と、

TTLカメラを使ったとしても、補正行為が無い事です。これは重大な怠慢です。

そもそも補正という事が、良く分らないのです。ファインダーを覗いていても、

どの部分を測光しているのか良く分りません。それで、まぁいいや、という事になります。

叔父さんから、露出の決め方という様な本を貰って読んでいますが、余り効果がありません。

私の悪い癖として、                                           

 絞り込まない。ピント合わせがいい加減。                                        

 手振れが怖い為に、常に早いシャッターを切る、などが挙げられます。             

ではどうすれば良いのでしょうか。簡単な事です。真摯に勉強して、実践する事です。

今日(1999.3.3)、前述の先輩的友人のところへ遊びに行ってきました。

彼は、いつの間にかペンタックスの645に切り替えていました。

私にもリバーサルフィルムの使用を勧めます。

でも、私はそういう訳にはゆかないのです。前述の露出の問題です。これを解決せずには到底不可能です。

それに、資金的にも完全に不可能です。ではネガフィルムは良くないのでしょうか。

比較すればはっきり分かるのですが、それでも四つ切り程度の写真では、私にはネガフィルムで充分です。

その彼から、レチナの2.a、シュナイダー社の、クセノン2/50付きを貰ってきました。

このカメラは古くなると、低速シャッターが粘るという事ですが、

やはり1/50以下では開きっ放しになりました。

更に、カメラを逆さにしないとシャッターが切れないのです。

ところが、普通に構えると右手の握りが難しいのに、逆さにすると非常に使い易くなるのです。

左手でフィルムを巻く、シャッターを切る、という動作です。

しかし、ピントを合わせる事だけは難しくなります。そこまで何とか分かったので、

フィルムを入れて撮影に出かけました。やはり、時々はシャッターが落ちません。

折しも当湯之谷村では「かまくら祭り」というのをやっています。

そこで、栃尾又の「かまくら」を撮りに行ったのです。もちろん露出は山勘です。

たちまち一本終わりました。更にフィルムを入れて、今度は夕暮れを待って、

土星、金星、木星が並んでいるのを撮りました。もう一台のニコンFには24mmを着けて撮りました。

どんな具合に写っているか、楽しみです。

 銀山平は紅葉が綺麗な所です。勿論年々に依っての変化はありますが、

余り鮮やかではない年であっても、必ず何処かが綺麗になります。

山全体が綺麗だった年に、私はゾルキー4でかなりの本数を撮りました。

レンズは勿論インダスター 3.5/50です。秋にはキノコ取りが本業です。

ケースがないゾルキーを襷掛けにして、毎日山々を巡っていました。

火線さえ気をつければ、天下一品と自負するレンズです。

露出がぴたりと合った時の美しい印画は、もう感激ものです。

このカメラは、何よりもブレにくいのが良いと思います。

ペンタックスLXでは、ミラーアップしてシャッターを切る事がよくありました。

何故と言うに、オーバーホールをして貰ったにも拘らず、そうしないとシャッターが落ちないのです。

そうすると、手振れに対しては安心感のある感触がありました。

然し、必ず三脚が必要です。でもゾルキーは手持ちで同じ感触のシャッターが切れます。

それはそうでしょう。ミラーショックがないのですから。

紅葉の赤、黄色が最も良く写るのは、ピーカンの青空の時ではありません。

曇っている訳ではないけれど、水色の空の時が、最高でした。

ちょっと露出を抑えると、青っぽい青空に写ります。

枝から葉がずいぶんと落ちて、空が良く見えるようになる頃が、私の一番のお気に入りです。

日暮も早くなるのですが、木々の隙間から青空を眺めて、一杯のコーヒーを飲む。

もう最高です。胸のポッケには小さなラジオ、リュックには、若しもの時の為に懐中電灯を入れておきます。

そして、岩波文庫を一冊。何と優雅な生活なのでしょう。

但し、写真を撮るのは、きのこ取りの仕事中の僅かな時間です。

 或時、本当にカメラを持っていなくて良かったと思った事がありました。

急な山なので例の如く木の枝にカメラをぶら下げて、きのこを取りながら登っていったのです。

大きな切り株にナメコが沢山出ていて、袋に二つも取った頃、上の方からガサガサと大きな音がしました。

何と、大きな熊が、私に気付かずに近寄って来たのです。

大慌てで切り株に隠れて様子を窺っていると、20m位離れた藪の中に入ったまま音がしなくなりました。

さあ大変だとばかりに息を殺してじっとしていましたが、

余りに静かなのでつい後ずさりして逃げようとしたのです。

ところが急斜面だという事を忘れていたので、取ったきのこの袋をひっくり返してしまいました。

熊は怖いのですが、こぼれたナメコが勿体無くて、慌てて袋に拾い入れます。

袋が大きな音を立てるので気がきではありません。どうにか拾って早速逃げました。

大慌てで逃げました。この時カメラを持っていたとしたら、

多分色気を出してシャッターを切っていたと思います。

ひょっとすると、その金属音を聞きつけた熊に襲われたかもしれません。

思い出す度に冷や汗が出ます。カメラを持つと、人格が変わるのかもしれません。

自重したいものです。危険な場所での撮影もまた、同じ事が言えそうです。

 

 

 さて、間もなく春が巡ってきます。巡り来るという事は同じ状態が繰り返されるとの理解も出来ますが、

この、自然の回帰は同じ状態の事がありません。

言わずもがなの事ですが、やはり今年の春はどういう春なのか、気になります。

山には雪が多くて、雪崩の心配が予想されますし、また山肌が崩れた所もあるでしょう。

いつも日陰の恵みに預かっていた木が、今年は倒れているかもしれません。

日照りの春か、雨降りの春か、温かい春なのか、寒い春なのか。

自然の回帰が、循環少数みたいに毎年繰り返してくれるならば、生活の予定は簡単に出来ますが、

自然相手の生活ではそうも行きません。

被写体もそうです。去年はすばらしい片栗の群落に出会っても、今年はその写真が撮れないかもしれません。

去年失敗したから、今年こそはと思ってもそんなうまい話は殆どありません。

全てが「一発勝負」です。これを逃せば二度と巡り合えない、そう思った方が間違いありません。

来年は、来年こそはあの水芭蕉の群落を写すんだと思う私も、莫迦なのでしょうね。

自分で「一発勝負」とは分かっていても、つい、甘えてしまいます。

 それにしても春はもうすぐ。今年はどんな花を発見できるか楽しみです。

どんな蝶に会えるか楽しみです。この新緑も、インダスターは鮮やかに再現してくれました。

非常に優秀なレンズだという事は何度も繰り返しましたが、残念ながらゾルキー4は只今故障中です。

そして、ペンタックスLXもまた、オーバーホール後フィルム一本撮って、

再び同じところが故障しました。故に、今、このレンズを使えるカメラがありません。

 最近、中国で製造されて、間もなく発売になるのでしょうか、安原一式というカメラが気になります。

レンジファインダー、Lマウント、TTL露出計付き。値段が安いというのが一番。

こだわりの技術屋さんが作ったと言うのも感激です。

それでもこの値段というのは、大変な事件だと思います(55,000円)。

このカメラにコシナのヘリアー15mmを着ければ、インダスターと共に大戦力になるのですが。

とは言っても花の接写は出来ません。

 

 そこで、理想のカメラ第二弾という事になりますか。

安原一式に、一眼レフのようなミラーを内蔵する。

フランジバックを抑える為に、ミラーは画角の何分の一かにして構図の判断を容易にする。

ミラーからの反射光を、ファインダー内に導入し、ピントを合わせる機構とする。

クイックリターンミラーならば、ベストである。ペンタプリズムがなくても、製造可能と思われますが。

 

 では、このカメラで何を撮るのか。

風景が撮れます。花の接写が、不自由ながらも出来ます。交換レンズは様々な物が選べます。

例えば、エルマー90mmで、小さな花を写せます。少ない機材である程度の被写体に対応出来ます。

何を撮りたいかと言うより、好きなレンズを有効に使いたい、という選択方法もあっていいと思います。

 手持ちの機材で、出来る限りの努力をしながら写真を楽しむ。

あくまでもこれが基本です。理想のカメラだの、理想のレンズだのを言い出したら切りがありません。

あくまでも写真を撮る、という行為の補助的な道具なのです。

しかし、道具というものは職人さんにとっては命です。道具はきちんと選びます。

そういう観点では、カメラはやはり大切な道具であって、出来る限り良いものを選ぶ必要があるのです。

そして、自分に合ったものを選ばねばなりません。だから、素人ながらも理想のカメラを求めるのです。

ここで気をつけたい事は、道具に溺れる事のないようにする事です。

時々見かけるのですが、メーカーに拘ったり、ブランドにこだわる人がいます。

時には、包丁を研ぐための砥石の、値段の高い事を自慢する人もいました。

確かに、よしあしは値段で判断出来るものもあります。他の道具についてはよく知りませんが、

カメラに関しては値段が判断の基準ではありません。

確かに性能についてはその価格が物を言うようです。

良いものは高い、という方程式が大体は当てはまります。

私は前述のように自分の撮影に合ったものを基準にします。

石ころだらけで、泥沼があったり倒木があったりする山道は、

いかに高価なスポーツカーと雖も走る事が出来ません。

カメラも同じ事が言えます。山仕事に携行するには、最新式の大きな物は不便です。

米山さんから頂いたレチナは、その点丁度良い大きさです。

早くこれを修理して貰って、大いに活躍させたいと思います。

素晴らしい被写体に出会って、あゝあのレンズを使いたいと思うのと同じく、新しいカメラを持つと、

あゝあれを撮りたいこれを撮りたいと思うのです。それは全く良い事だと思います。

ただ、写欲をそそる為だけに機材を集めるという事は避けたいものです。

何故ならば、写真を撮るという行為がいつしか道具の蒐集家、あるいは評論家になりかねないからです。

これは本末顛倒です。そして私が、その類の人種に近づきつつあるような気がします。

まともな写真が撮れないという事は、結局道具に頼るという邪道的な方向へ逸れ、

更には道具の評論家になってしまう・・・。

 例えば一年に一度、初心に返る日、というのを設けてもよいと思います。

久しぶりに黒白のフィルムを入れて、敢えて色彩豊かな被写体に向かう。

すると、何となく昔の私に帰ったような気になるのではないでしょうか。

例えば春爛漫の原生林にに入る、例えば標準だけで山の生活を撮る、

例えば出来た写真を先輩に批評してもらう。例えば引き伸ばし焼付をする。

例えばフィルムの現像をする。例えば入門書を繙く。

初心に帰るという事は、その時のワクワクする気持ちまで思い出させます。

初めて写真を撮った日、私は何時、何を、どんなカメラで、どんな気持ちで撮ったのだろうかと思います。

という事は、もう忘れているという事です。

多分中学生の頃、父のベッサで、金星を撮ったのが最初かと思われるのですが、やはり思い出せません。

写真に関して、全く何の知識も無かった事は、はっきりしています。

当然、全くと言う位ですから、白紙です。

 そういう様々な出来事や念いから、私の息子には小学校四年生の時にカメラを与えました。

当然、シャッターを切るだけで綺麗な写真が撮れる時代です。

私が敢えて機械式シャッターの一眼レフを与えたのは、勉強して欲しかったからです。

逆輸入の新古品で、値段の安いのを選びました。レンズは標準一本です。

これは、TTLの露出計が付いていました。

そして六年生になった時に、写真の基礎を知ってもらう為の教科書を作ってやりました。

この頃、小学校には杉本先生という立派な校長先生が居られて、やはり写真を撮る方でした。

私が息子に与えたカメラの事で、先生には褒められました。また、小学校に写真部を作って下さって、

息子も入部していたようです。最初の頃は面白がって、結構まともな写真を撮っていたのですが、

中学生の今は少しマンネリ化したようです。

家族から褒められたり、叔父さんから褒められたりして喜んでいたあの初心の頃、

決して忘れはしないと思います。

 何時か、訊いてみたい様な気がします。

原生林に圧倒されてカメラを向けたあの頃が私の初心時代だと思っていますが、

「君はいつごろ、我に帰ったのかね。」と。

 

 以前は、花を撮りたいが為にしょっちゅうレンズを外して、逆向きに付けて手で押さえながら撮りました。

カメラを花に近付けたり離したりのピント合わせです。

そうして撮った中の一枚に、平ガ岳の池塘に生えるモウセンゴケの花があります。

タクマー4/35を使いました。白い蕾と開きかけた花は、とても可憐なものでした。

当時のカメラは、ペンタックスSV、セルフタイマーの音が、物凄いヤツです。

あの頃は池の周りに道は無く、どこでも入って行けましたが、

それでも先輩からなるべく石の上を歩くのだと命令されていましたので、

なかなかカメラを良いところにセット出来ません。

もちろんレンズは手で押さえ、三脚もありません。岩の上に腰を下ろして考えました。

そして思い付いた事は、まずファインダーを覗いて適当なものにピントを合わせます。

その距離を大体の見当で覚えておきます。次に絞りを11にして、シャッターを決めます。

更に岩の上に腹ばって腕を伸ばし、カメラをモウセンゴケに近づけます。

勘で構図を決めて、シャッターを切ります。

あの頃はカラーフィルムが高かったので、一発勝負で一枚撮りました。

見事、ぴったりの写真になったのです。まぐれというものは恐ろしいものです。

その後何度もこの手を使いましたが、花が半分切れたり、草ばかりが写っていたりで、成功しませんでした。

後年、2.8/ 28 を入手すると、リバースアダプターという物を知って、

このレンズにはそれを付けっぱなしにしていました。何時でも逆転できるからです。

ところが、何とこのレンズは物凄くボケが汚いのです。

全く私向きではありません。ニコンのマイクロを使っている今でも、時には逆にして撮ります。

染みついた癖なのでしょうか、馬鹿の一つ覚えなのでしょうか。

 

 平ガ岳というと想い出す事があります。先輩方に連れられて幕営した真夜中の事です。

「水、みずー」と言う声に、酔って寝ていた私は枕にしていた水筒を渡しました。

2リットル入りのポリタンクです。懐中電灯の明かりの中で、その先輩は一気に半分以上も空けました。

更に口をつけるのを見ながら、私は再た眠ってしまいました。翌朝、宿酔いの私の眼にも、

ひどくむくんだ先輩の顔が見えました。

「どうしたんだ。虫にでも刺されたのか。」と訊くと、

「水をくれと言ったのに、酒をよこすやつがあるか。」と、不機嫌です。あれは、水ではなくて酒だったのか。

「ええっ、自分で飲んで、酒と水の区別がつかなかったの。」と、訊くと、「酔っていたから分からなかった。」

その水筒には、ほんの少ししか「酒」が残っていませんでした。

これは、笑い話ではありません。その数年前は、夜中に酒が無くなったので麓まで買いに下山したそうです。

酒を持って登って来た時は既に午前10時だったという連中です。 

 頂上には、ヒメシャクナゲの花が咲いていました。下戸の私はひどい宿酔です。それで

も写真は撮りました。

その日の出来事だったのか、あるいは別の日だったのか、下山する時にひとつ尾根を間違えました。

それに気づかずに、初めて見る、衣笠草に感激していました。

ちょっと陰影のない所でしたが、写真は撮りました。

 そうこうしている内に、もう少しで渓流に下りる所まで先導して来た先輩が、引き返すと言うのです。

重い帆布の天幕を背負っていた私は、愕然としました。下を見ると絶壁です。

最早写真機はリュックの中にしまいこみました。そして黙々と、薮こぎの登山が始まったのです。

花はおろか、空の色さえ見る余裕がありません。やっとの思いで、幕営地付近の池塘に辿り着きました。

そこで昼飯を炊こうという事になりました。池塘の水は薄い醤油色です。

50〜60メートル下りた渓に水汲みに行けと言われました。

ありったけの水筒を持ってガレ場を下りて行くと、そこは美しい花園です。天国でした。

更に、渓に着くと、平らな流れの中に規則的な釜がいくつもありました。

一つの釜に十人は入浴出来ます。水浴びしたい気持ちを抑えて、今度は地獄の花園を登って行きます。

結局、帰宅は夜半になりましたが、道中の湖水に映った月が、本当に美しかった事。

切ないほどに美しく感じました。

銀山湖に映った満月と、影になって揺れる芒を、何時か写真に撮りたいと思いました。

その後、しょっちゅう通る道なのですが、なかなか夜は行けません。

亡くなった友を想う時には、必ず想い出す光景です。

 

 

 これは白戸川での事です。

私は春蝉というのを全く知りませんでした。ぜんまい採りも中盤になると、その蝉が喧しく鳴き出すのです。

どうも蝉の声の様だが、と父に尋ねると、その通りと言います。

これには驚きました。また、実際に飛んで来て私にも止まるのです。綺麗な小振りの蝉です。

その小さな体から何とも大きな声が出るのです。

それを写真に撮りたくて、ファインダーを覗きます。ところが、一枚も撮る事が出来ません。

これも諦めましたが、命尽きて草むらに落ちているのを、無理やり木の枝に止まらせて撮った事があります。

撮りたいと思っていた蝉を撮ったのですから嬉しい筈なのですが、そうではありませんでした。

動かない蝉は、いくらでも構図を変えられます。好きな場所に置いて撮れます。

それは、今で言うヤラセと同じ事でしょう。何の満足感も味わえません。

後年、銀山でぜんまい採りをしていた時にビデオカメラで撮りました。

この時は、ズームレンズで幾らでも寄れましたし、鳴き声も入りました。

何とか願いが叶った事になりますが、この間およそ二十年。

 小さな渓流で汗を流し一服していると、大きなトンボが飛んで来ました。ムカシトンボという種類です。

往ったり来たりしているうちに、今思えばイワイチョウの様な植物の茎に停まり、何と産卵を始めたのです。

上の方から真っ直ぐに、数センチの間隔で一列に産みつけながら、水の中に入ります。

トンボが水に潜るという事を、この時に初めて知りました。

茎の根元近くまで行くと、今度は蛇行して上りながら卵をくっつけてくるのです。

そしてどこかへ飛び去るのでした。また別の草に産みつけるのでしょうか。

この時は、驚きと言うか何と言うか、写真を撮る事など思い付きもしませんでした。

そう言えば、他のトンボを見た記憶がありません。

まだ春浅い故なのかもしれません。蝶はいました。知っている名はカラスアゲハだけです。

白いのや灰色の蝶は、名前を知りません。これはズームレンズで撮りました。

タムロンの、80−250mmの、大柄な物でした。

記憶では柔らかい描写だった様ですが、何しろ重くて大きいレンズです。

これは余り使わなかったせいか、そんなにガタがこないうちに、

友人のカビたタクマー1.8/55と交換しました。

これは父が磨きに出して、今ペンタックスSPに着けています。

白戸川の蝶は、余り逃げる事を知りません。気ままにゆったり飛んでいました。

カメラを構えていると、必ず思った所に止まります。

まさかそんな事はないのでしょうが、そういう印象が残っています。

この頃に、コダカラーXというフィルムを紹介して貰って、勿体無く思いつつ少しづつ撮ったのです。

あのアルミの缶が好きでした。ASA80だったと思いますが、

私はそんな事は知識がなかったものですから、100で撮りました。

本当はその知識はあったのです。でも、何故か100で撮っていました。

このフィルム、凄いものでした。美しい発色、ピントの良さ。写真の内容はともかく、

とても綺麗な印画でしたので、カラー写真というものを見直すきっかけになりました。

今でこそカラーは安いのですが、サービス版一枚のプリントが70円でした。

36枚だと、2520円になります。

黒白は5円か10円だったと思いますが、当てにはなりません。その他に現像料がかかりますから、

とても私などにその資力はありません。それでも、

カラー写真というものに大きな敬意を払うきっかけとなっただけ、勉強になりました。

 もう少し時間が遡ります。露出計の無いペンタックスAPとSVを持って入っていた頃です。

フィルムは主に、ネオパンSSでした。APがとにかくよく壊れるもので、SVを無理して買ったのです。

これは中古。私にはどうも、露出不足よりも過多の方が安全だと思っていた節があります。

誰かからそう教わった様な気がするのです。それ故か、

とにかく、5.6 以上には絞らないという癖が出来てしまっていたのです。

写真屋の親父さんにはよく叱られました。

何度叱られても駄目なのです。とにかく写真にはなるのですから。

それを案じてか、ある日親父さんが、引き伸ばし機を買わないかと言うのです。

ちょうど入れ替えるから、安くしておくといって、どうしても私に引き取らせたい様子です。

私はその厚意に甘える事にしました。富士のS69という物で、どうやらそんなに古いものではない様です。

引き伸ばし技術の新刊書などでも、未だ旧B型が載っていました。

フィルムの現像タンクは、ベルト式の物を選んで、一応、一式を揃えてくれました。

今思うに、全くの採算度外視と言ってもいい程でした。それでも私にとっては大金です。

多分私の給料の二月分位だったと思います。

私は今でもそうですが、あの頃も他人に比べると極めての薄給取りでした。

ですから両親に頼らねばなりませんが、親子は似るのでしょうか、やはり貧乏でした。

それでも何とか借金をして買って貰った引き伸ばし機は、宝物でした。

暗室の失敗談や感動巨編は後述するとして、一切を自分でやる様になってからは、

撮影時にも絞り込む様になったのです。最初は手引書の通りにやりました。

矢張りネガが真っ黒です。これを引き伸ばして見ると完全にざらざらです。

こんなのをよく伸ばしてくれたものだったと、親父さんへ再感謝です。

ない頭でも考える事は出来ます。フィルムの現像時間を半分にしました。

すると、嘘の様にのっぺりしたネガになって、しまったと思ったのですが、

引き伸ばすとこれが見事にビシッとした、実にシャープな写真になったのです。

フィルムの粒子など、近眼の私には見えません。今度はピントの甘さが気になる様になりました。

それで8から11位に絞る様になったのです。

白戸川は銀山に比べると雪の少ない所ですが、それでもしょっちゅう雪渓を歩いていました。

雪渓と新緑、とても美しいのです。写真に撮ると、殊に逆光では素晴らしい美しさです。

私は、原生林は逆光で撮るものだと思い込む様になりました。

絞りの効いた、美しい写真は、それでも何枚かは撮れたのです。

自分で現像をする事の意義を、親父さんは、言葉ではなく体験させる事で教えようとしたのでしょう。

私のぐうたらな本質を見抜いてくれたのだと思います。

 

 私が引き伸ばしの仕事を初めて見たのは、中学生の時です。その頃中学校には暗室がありました。

富永真二さんという同級生が、ペンタックスを持っていて写真を撮っていました。

彼は学校の暗室で、自分で引き伸ばしていました。

初めて見せて貰った時は、現像液の中でじわっと現れてくる写真に驚き、また大感激したのです。

私には恩師と呼ぶべき方々が沢山います。写真への興味を抱かせてくれた富永真二さんも私の恩師です。

そして写真についての知識を与えてくれました。

高校の美術部に入った時、カメラが一台あって、早津剛先生という、顧問の、

これまた大恩師が、誰か写真をやらないかと言うのです。

私は躊躇なく返事をしました。真二さんの与えてくれた基礎知識のおかげで、

何等の違和感もなく飛び込めたのです。

高校では、私は全くお金が無い生徒でした。写真は道楽ですから、とても親には頼めません。

働いていた後年とは訳が違います。

クラブの記念写真などでは、フィルムを先生が出して下さったのでそれを使いましたが、

殆どの時間は、下手な絵を描いていました。

その頃に、写真屋の親父さんと知り合って、いろいろな助言をいただき始めたのです。

そして、箱の中の薄い紙に印刷してある、露出の目安に忠実だったのです。

ストロボの使い方は、早津先生に教わりました。

今でもそれ以外の知識はなく、新しいストロボは上手く使えません。

高校にも暗室があって、誰も使う生徒はいませんでした。

時々借りるのですが、手続きが面倒くさいのでやめました。それでも、化学の先生には、

MQだとかPQだとかを教えてもらいました。

 あの頃はきちんと「露出の目安」を見ながら撮影していたのが、自分のカメラを持ってからは、

何故、次第に絞らなくなったのでしょう。

思い出してみるのですが、前述の様に誰かにそう教わったのかなあ、という程度の記憶しかないのです。

或は露出の失敗で苦い思いをした事があったのか、どうも記憶が曖昧です。

例えば、私なら、息子にそういう忠告はしません。カラーフィルムを使っているからです。

自分で現像しないからです。

若しも昔の私の様に、黒白の写真をやっているのならば、いろんな実験をさせると思います。

何でもいいからやってみろ、とは、今の時代だから言えるのかもしれません。

収入が多くなったからではなく、写真道楽にかかる費用が格段に安くなったからです。

有難い事だと感謝しています。

 

 春の浅草岳は素晴らしい山です。姫小百合の花を、この山で初めて見て感激しました。

まだ一度しか登った事がないのですが、それが何年の頃の事なのか、記憶にありません。

未だ若い頃で、ペンタックスMXを買ったばかりの頃です。ひと冬、大阪へ出稼ぎに行きました。

正月、家に帰らないで兵庫の叔父さんの所へ遊びに行くと言ったら、3万円を、生活費に使えと言って、

会社の先輩が置いていってくれたのです。

私は叔父さんの家に行く途中のカメラ屋に引っかかって、ペンタックスMXを買ってしまいました。

もちろんレンズは買えないので、M42アダプターを何とかおまけに付けて貰ったのです。

このカメラはずいぶん小型で、とても気に入ったのですが、何故かよく壊れました。

浅草岳で出会った人がやはりMXを使っていましたので、どこか壊れる所はないかと訊くと、

やはり私と同じ所が壊れると言います。

今となってはそれが何処だったのか忘れましたが、黒いボディが剥げて真鍮の地肌が出る、

という所までは使わないうちに、父がどこかへ置き忘れてきたのです。

マクロ4/50は、一年も使わないうちに、です。縁薄いカメラでした。

ですから、印象が薄いのも仕方ありません。例えて言えば、行きずりの幸薄い女、と言った風情。

然しそれだけに、もう一度使ってみたいのです。

一度しか登った事がない浅草岳、何となくこのカメラと同じような印象です。

ただ、姫小百合は枝折峠の道中で見かけた事があります。たった一株、咲いていました。

今そこへ行く道はありません。やはり藪に覆われてしまっています。

どうも、この頃の記憶が曖昧です。22〜23歳の頃だったでしょうか。

結構あちこちと飛び回っていたので、記憶がゴチャゴチャになっているのかもしれません。

 大阪から一時帰郷した時に、冬景色の写真を沢山引き伸ばして、行きつけの食堂のおっさんにあげました。

おおきに喜んでくれて、それからはずうっと、只飯を食わせて貰いました。

この大阪暮らしは、私にとって非常な収穫でありました。東京の人達に比べて、皆優しいのです。

地下鉄の客車の中でちんどん屋が練習していると、皆で拍手します。

寮に通っていた電車で眠っていると、目的地の手前で起こしてくれる人もいました。

アパートで盛大に親子げんかが始まると、飛び込んでいって仲裁する人もいました。

道を尋ねて、教えてくれなかった人は一人もいませんでした。

勿論怖い思いもした筈ですが、楽しい事が多くあり過ぎたのです。

 この出稼ぎでは、カメラを持って行かなかったような気がします。写真が一枚もありません。

勿論黒白の時代ですから、フィルムを現像したまま、引き伸ばさなかったのかもしれません。

それにしても撮影した記憶がありません。人生が面白過ぎて、写真どころではなかったのでしょうか。

あり得る事ではあります。                                  

大阪は、浅草岳と共に、ペンタックスMXに繋がる所なのです。

 

 ひと頃、コダックの110カメラを使った事があります。これはポケットに入るというだけで、

何のメリットもありませんでした。コダック社はさまざまな番号のフィルムを作りましたが、

現在継続しているのはほんの数種類だけです。

127番では、クロアチアだったかで製造されているだけだとか。

このフィルムを使用するカメラには、所謂名機と呼ばれるものが多くあります。

110番でも、ペンタックスとミノルタが、高級一眼レフを作りましたが、フィルムがありません。

幸いな事に、そういう類のカメラは一台も持ってはいませんが、

若しも気に入った物が手に入ったらどうしようかと思ってしまいます。

135番のネガサイズが小さ過ぎると考えた場合、次は120番を使う事になります。

すると、カメラ本体が大きくなってしまいます。セミ判としても、

ポケットに入る物というと、恐らく無いでしょう。

となると、やはりベスト判が欲しくなります。4×6.5センチだったかと記憶しているそのサイズ、

この半截なら 3*4cmで、135番の一眼レフと同じ程度の大きさで作れると思います。

127番を、今のカートリッジに入れて販売したらどうなるでしょうか。

5割もネガ面積が増えるという事は、ずいぶん画質面で助かると思います。

そして、例えばそういうカメラを作った場合、135番も使える様にするのです。

大は小を兼ねるのですから。そして、それならば、別の方法も考えられます。

135番のパーフォレーションをなくして、フィルム幅一杯を全部使うのです。

今の技術があれば、パーフォレーションが無くても正確な給送は出来ると思います。

然し、よく考えると四つ切り程度の引き伸ばしであれば、現行の135番で不自由には思いません。

ですから、余りいろいろな事は言わない様にしましょう。

フィルムの規格を、私が使える程度としますと、現行の135,120,(220)番で十分です。

殊に、小型カメラという点で、結局は135番があれば結構なのです。

フィルムの粒状性が、今の何百倍も向上すれば、ミノックス規格を標準とすることが出来ます。

そうすると深度が深くなりますので、事の良否については、分かりません。

やはりボケ味という点を考慮する必要があるからです。

例えば6×7判を使っている人は、35mmサイズのボケ味について何う考えているのでしょうか。

深度が深過ぎると思っているのでしょうか、或は35mm並みの深度を希望しているのでしょうか。

どうも、それとはまた別の次元のような気がするのですが、私には分かりません。

フィルムの性能は、日進月歩で進んできました。

この進化がこのまま続くのか、或はそろそろ頭打ちなのかは分かりませんが、何れにせよ被写体を、

見た時と同じように再現出来れば、私は構いません。

 

 レチナ2.aで撮った写真が出来上がりました。良いレンズだと思います。

少しフレアが出るようですが、これは第二レンズあたりが曇っているせいです。然しこれは利点です。

白く飛んでしまったものの周りが、ホワッとしています。これは、

例えば女性ポートレートなどで、ネックレスのきらり光ったその周りがうっすらと滲むという事です。

或は、バックがかなり明るい場合には、女性の輪郭がじわっと溶け込む、とも言えましょう。

さまざまな場面で、様々な写真を撮りたいと思いますが、やはりオーバーホールが先です。 

実は、シャッターが落ちなくて未露光の駒がかなりありました。

更に恥を付加すれば、巻き戻し完了と思って開けた裏蓋の中には未だ、

フィルムが巻き取られずに残っておりました。慌てて蓋をしたのですが、5駒程被っていました。

これは失敗の巻。昔APで時たまやった事ですが、

あの機械は開閉爪が何かに引っかかって自然に開く事があるのでした。

ショックだったのは、同時に現像が上がった、ニコンFで撮ったものです。

前から時々はそうだったのですが、画面の左端が殆ど全駒、露光過度になっていたのです。

ゾルキー4とは逆の症状です。これはやはり、オーバーホールです。あーあ、と、た め い き。

 

 今年は娘の為にパソコンを買いました。プリンターは現物が無くて後から来ましたが、

その中のサンプル写真を印刷してびっくりしました。とても綺麗なのです。

これは大変な事になってしまいました。

折しもアサヒカメラのニコンの広告、200万画素のディジタルカメラ登場です。

「電池無ければ只の箱」と、電池だけに頼るカメラを敬遠して来ましたが、

どうやら少しは考えを変えなければならないかなー、と思っているところです。

未だ発売になっていないので、携帯性はどうなのか、現物を見ることが出来ません。

こうなると、カメラが欲しいのか、写真を撮りたいのか分かりません。いーえ、私は写真が撮りたいのです。

道具に頼らず、創意工夫で写真を撮ろう、という誓いは何処へも行ってはいません。

山にこもった時に、予備の予備電池まで消耗してしまった時は、どうするのですか。

あちこちに色目を使ってはいけません。お金が潤沢にあれば、道楽ついでに導入してもよいのですが、

私は古いカメラが好きなのです。機械のカメラが好きなのです。

 米山さんから、

「露出計の入ったカメラを買えば?」と言われています。当然そういう時代です。

良く撮れるカメラがあるというのに、無理やり旧態依然とした、

露光の揃わない写真を撮る必要はないのです。

絞りが幾つでシャッターが幾つだというよりも、被写体に専念する事が出来る時代なのです。

敢えて逆らうのは、多分馬鹿です。カメラのコレクターではなくて、写真を撮りたい人なのですから。

それならば何故、と言うと、やはり携帯性です。それから、経済性です。

例えばニコンF4を手に持つと、もう、どっしりしていてとても素敵なのです。

然し、これをたすき掛けにして山の中を歩けるでしょうか。Fをそうして持ち歩いているのですから、

出来ない事はないでしょう。そう考えると、信念が揺らぎます。

またもや、初心忘るるべからずと自分に言い聞かせねばならなくなります。

それ故に、この項はここでおしまい。                                             

 

 私が高校性の頃は、モータードライヴの赤道儀など余り普及していませんでした。

それで、雑誌の応募写真は殆どが手動装置で星を追いかけ、露光していました。

大変な忍耐だったと思います。それが今ではパソコンを使って、CCDを使って、

物凄い写真を撮っているのです。あの頃、写真機と言っていたものは、私にとっては6×9判でした。

あれはどんなレンズだったのか良く思い出せませんが、4.5/11cm でした。

それを赤道儀に何とかくっつけて写真を撮りたいと思ったものでした。然し、第一赤道儀がありません。

では三脚につけて、せめてや日周運動をと思っても、今度は三脚に取り付けるネジ穴が大き過ぎて、

固定できません。一体どうなっているんだ、とかなり腹が立ちました。

規格というのがバラバラだと、こういう事になります。ISOは、

そういう観点から大変良いものだと思います。

一番困ったのは、パワーショベルの操作レバーが、メーカーに依って違う事でした。

これは道楽なんぞではないのですから、よその会社からちょっと借りるという時に、

全く戸惑ってしまうのです。これは、統一されました。               

 今わが家にはビデオデッキが三台並んでいます。VHS,βマックス、Hi8、です。

それが全部稼働しているのです。不経済この上ありません。これに、DVが加わったり、

DVDやLDまでが仲間になると、とんでもない事になります。

そういった混乱期に生まれてしまったと言えばそうも言えますが、大昔から「規格」という事は、

重大事であった筈です。それが未だにこの有様ですから、まだ未だ混乱は続き、

然しそれが進化の原動力になるのかもしれません。

では、規格の統一が先にあるという事は、考えられないのでしょうか。

特許権は、規格の範囲内でのみ認めるというものです。

新しい規格を作る時は、必ず旧規格との互換性を保たねばならないと規定します。

私は後に、三脚のネジアダプターを手に入れますが、

その頃は既に父のベッサのシャッターは油が切れかかっていました。

また、ストロボを差し込む所が、レチナとベッサは同じで、所謂ドイツ規格です。

このアダプターは持っていませんが、この様に、アダプターを介して使用可能ならば、

少々の不便があっても新旧の機械を同時に使うことが出来ます。

然し、決定的な不可能もあります。メートル表示とフィートの表示です。

これは、距離環を簡単に交換出来れば良いのですが、そんなものは特殊な店に行かなければ入手出来ません。

目測でもピントを合わせる事があるのだから、フィートにも慣れなければなりません。これは不便です。

ですから、規格の統一というのは、非常に大切であり、必要な事なのだと思います。

私は、距離環を数種類用意して使用者が簡単に交換できる事も、互換性があると考える事にします。

そうすれば、或る程度は規格が先行しても十分競合の余地があり、

我々使用者にとっては誠に福音であります。

カメラに関して言えば、全てのレンズに互換性がある事。即ち、

レンズマウントは完全に同一である事を希望します。

曽てM42マウントは、俗にユニバーサルマウントともいわれ、

多くのメーカーが製品を出していたという事です。大まかな事が統一されておれば、

細かい事に就いては何も言いません。

 

 さて、写真を撮るという事は、プロではない私達にとって、どういう価値があるのでしょうか。

人生に於て、完全に必要な事があります。それは生きる為の基本的な事とは違いますが、

それらの次に位置する最も重要な事、道楽です。

道楽とあからさまに言えば、一寸世間体が悪い様な世の中になってしまいましたが、実情は「道楽」です。

これは、換言すれば、余裕、です。心に余裕が無ければ、人生は有意義といえるでしょうか。

人生に余裕が無ければ、それは果たして人生と言えるでしょうか。

それ程にも、人生と道楽は不可分なのです。

いくら貧乏であっても、道楽があるという事は、人生をしっかり自覚していると自負出来る筈です。

 私が初めて写真道楽を始めようとした時に、母親は「写真だけはやめてくれ」と言いました。

祖父や父の時代とは違って、随分とお金のかからない時代になっていましたのに。

私が引き伸ばしをしていると、祖父はこう言ったものです。

「俺達は、定着液なんか、刷毛で塗ったもんだ。」と。暗室の電球は、父のお下がりでした。

母は、貧乏な渡世故に、それ程にも苦労したのでしょうか。私には分かりません。

ただ、確かに昔は金がかかる、厄介な道楽であった様です。それだからこそ、貧乏であれば尚更、

心に余裕が必要なのではないでしょうか。私は、そう考えます。道楽とは何ぞや。人生である、と。

 

 高山でなくても、かわいい花々は沢山咲いています。その花を写真に撮るのが、これまた難しい。

私の友人達は、割合に上手に撮る術を持っているようです。

「そりゃぁ、おめえさんの腕が良いんだとは思うなよ。カメラが良いんだから。」と言って、

よくからかいます。然しはっきり言えば、何時になっても、上手くならない私の僻みです。

駒形君は、花をとても愛しています。花の心が分かるのでしょうか。自在館の社長は絵心といえば良いのか、

とにかく花の持つ個性の美しさを引き出す腕を持っています。

桜井秀夫先輩は、花そのものというより、山そのものをとても慈しんでいます。

だから、綺麗だけではなく、味のある写真が撮れるのだと思います。私は如何でしょうか。

例えばいくら立派なカメラを持ったとしても、駄目でしょう。

心掛けが、彼らとは比較出来ないほど貧弱なせいだと思います。

口先では原生林を愛するとか、花を愛すると言っても、本当にそうかというと、自信がありません。

生死のはざまに立てば、立派な能書きなど糞喰え、になるかもしれません。

それ故に、写真にも心が表れていないのだと思います。では、如何すれば良いのでしょうか。

一枚一枚の写真をお座なりに撮らない様にするには、先ず気合が必要だと思います。

仕事の合間の僅かな時間であっても、必ず気合いを入れて撮らなければならないと反省します。

この反省の上にたって写真を見直すと、

 何を、

 如何いう意志のもとに、

 どんな表現の写真にしたいのか。

 何の為に、                                                                   

 どんな表現をしたいのか。

これらが全く感じられないのです。ただ興味を持った被写体にカメラを向けて、漫然とシャッターを切る。

これでは被写体を愛している事になりません。被写体を愛する。これが最も大切な事だと思います。

勿論写真は記録ですから、シャッターを切りさえすればそれなりの目的は達成出来ます。

しかし、記録という意外に、意志が必要です。

意志が写し込まれなければ、自分で感動出来る写真にはなりません。

また、本当の記録写真でもありません。偶然、時間の経過が貴重な記録に変化させただけなのです。

何故に、何を何の為に写すのか、という事です。

それは、写したい被写体に出会った時に慌てて考えるのではなく、普段から精神修養すべきです。

一寸大袈裟な様ですが、何の為に撮る写真なのか、

それをしっかりと自分の心に刻み込んでおかねばなりません。

例えば花を撮るのに、花が好きでも、その花の美しさを表現する為には、如何すれば良いかを考えるのです。

所謂、イメージトレーニングです。

咄嗟の場合の為に、自分の愛機に習熟する事です。

今現在の記録写真にしたければ、何をどんな意志を持って記録するのか、

自分の心の中で決定しておくべきです。その為にも、足を使って最良の位置を選ぶのです。

残念ながら、非常に心苦しい事ながら、私はそうではありません。                               

 

 白戸川でゼンマイを採っていると、渓流の脇に一株、綺麗なゼンマイがありました。

茎はみずみずしい緑色、巻かれた葉っぱは鈍い赤。このゼンマイという植物は、実に多様な色があります。

あの時は黒白のフィルムでしたので、色による区別は写せませんでしたが、今はそれが出来ます。

ゼンマイの分類という訳ではないのでしょうが、今年から、

この茎と葉の色の組み合わせを撮ってみたいと思います。

あの頃、確かに私はそれを撮りたかったのです。

 また、残念な事もありました。白戸川での最後の年に撮った16本のフィルムの現像を

友人に託したのです。然し、彼はそれを捨ててしまいました。

私にとっては非常に貴重な記録です。

悔しかったのですが、彼という人物を見抜けなかった私が馬鹿だったのですから、諦めました。

それ以後は、必ずどんなに忙しくても、自分の手で処理しました。少し位出来が悪くても、

必ず自分でやるべきだと思いました。                           

  カメラの発展史は、綺麗な物はきれいに撮れるよう、咄嗟の時にはそれなりに、

使い手の頭と手を煩わせない事を主眼として来た、という事らしいのです。

然し、それが発展というのでしょうか。君は頭が悪いのだから、

何も考えなくて良いのだよと言われている様な気がするのです。

技術屋さんの努力は敬意を表するとして、進歩発展という少なくとも前向きな言葉を使うのであれば、

発展する方向が違っている様な気がするのは私だけでしょうか。

尤も、使う人の事を考えてくれているカメラもあるのですが、何しろ高い、大きい、重い。

これはひとつの退化です。カメラの値段が、重さに比例する時代があったという事を聞いた事があります。

ある程度は理解出来るのですが、信じられない。         

 時代。この一言で、何もかも済まそうとする風潮があります。曽ての軍国主義の時代、あの時代に、

反旗をひるがえした人は果たして多数派だったでしょうか。

時代。この言葉は、結構重くのし掛って来て、而も責任を取ってはくれません。

その時々に勇気を持って反論する、まず職人がそれをやるべきです。

職人とは、この場合政治家や役人は勿論、技術屋も修理する職人も、我々凡人さえも、

人生の職人という事で、ひっくるめて言います。

写真機の修理をする職人さんが極端に少なくなっているという事は、素人の私でも容易に推測できます。

当然、機械全般はおろか、人間を教育する職人、これには親も含まれますが、

全ての分野でそういう「時代」になってしまったのです。これではいけないと、

誰が言ってくれているでしょうか。昔に帰れとは言いません。

人間として、生命体の一員として、宇宙全体の一員として、真理というものは有る筈です。

此処迄は良いけれども、これ以上はやる可きではないと。

そういう真理と謂うものは、誰かが知っていなければならない事です。

そして概ね、それは知識者階級の者達ではありません。権力を持つ者たちでもありません。

非常に残念な事であります。

 話は大幅に横道に逸れた様ですが、実はちっともそれてはいません。私は、カメラ界の現在を否定します。

これは真実の道ではありません。前に主張しましたが、レンズマウントひとつをとってみても、

正道を歩いているとは言えません。但し、正道と思われる道を行くと言う事が、

利益を追求しなければならない会社にとって、善い事か悪い事か、それの判然とした判断は出来ない筈です。

何が正道か、分からないからです。そして、それが分かる者は、多分異端児として、極端に冷遇されるか、

或はその逆という立場になるかのどちらかです。それでも、さあ、異端児よ頑張れ。

 

 越後駒ケ岳に、家族で登った事があります。妻、長女、長男、次女、私。

管理人の米山さんにはお世話になりました。

私はその時、ローライ35とゾルキー4を持って行きました。どちらも良く写るカメラです。

ただ、ローライ35の方は日中シンクロが可能です。

ストロボを使って、背景とのバランスが取れました。これは素晴らしい事です。

一眼レフでは到底不可能と思っていたら、ニコンFM2では1/250s.でのシンクロが出来ます。

こういう進歩は、大歓迎なのです。こういう事を、進歩とか発展とか言うのです。 

翌年は、私は置いてけぼりにされました。長男は初めてのカメラで、御来光の写真を撮ってきました。

多分小学四年生です。それが、結構良い写真で、皆にちやほやされました。

当然私も褒めました。レンズは50mm一本。後にズームを与えましたが、

本当はマクロの方が良いと思います。まぁ、それは未だまだ先の事としましょう。

マクロプラナーとなると、うっかり手が出ませんので。その彼は、近頃余り写真機をいじらなくなりました。

冬というと、やはり被写体が好みに合わないのでしょうか。彼が写真を撮るというのは、

ひとつは彼の祖父である、私の父の影響だろうと思われます。

 彼に、写真の撮り方などを実地で教えられれば良いのですが、私にはその力がありません。

ですから、何とか撮り続けて貰いたいと、時々は発破をかけるのです。

そのくせ、フィルムを借りたりしているのですから、随分いい加減な親父ではあります。

去年の事、彼の学校が休みだというので、私が会社をサボり二人で山へ行こうという事になりました。

銀山平で、山道の整備と、荒沢岳の登山とではどちらが良いか、と問うと、どちらかと言

えば登山だな、と答えます。それじゃ、カメラを持って登ろうじゃないかという事になりました。

腰に鉈を下げて、おにぎりを入れたリュックを交代で背負い、

頂上まで行かなくてもいいやと言いながら写真を撮って歩きました。

彼を見ていると、私とは全く視点が違うのです。ただ、彼は接写が出来ないのですから、

当然と言えば当然なのですが、貧乏な私を気遣ってフィルムの浪費をしないのかもしれないのです。

若しそうならば、私は悲しい。何の遠慮が要るものかと大見得を切りたいところです。

とにかくフィルムを使わなくては写真になりませんものですから。

そして私の若かった頃のような思いはさせたくないものですから、

何とか弱みを見せない様に頑張る父親であります。                   

 尾根に出ると、心地よい風が吹いています。車百合が咲いていました。二人で撮影会が始まりますが、

やはり彼は、1〜2カットしか撮りません。まあいいか、そうやってフィルムを大切にしながら撮るのも、

優しい心の発露だろう。親馬鹿を発見します。

これは十手の木と言うのだとか、此処には白根葵の白花が咲いていたのだとか、

話をしながら登って行くうちに、山頂に着いてしまいました。登山者が二人。

繋ぎ服に地下足袋、鉈をぶら下げリュックは一つの我々に、昼飯はあるのかなどと心配をしてくれます。

ありがたい事です。雲が多くて、遠嶺は見えませんでしたが、僅かの間隙を見つけて撮ったといいます。

私は撮れませんでした。出来上がった写真を比べてみますと、どちらも似たような雰囲気のものです。

物を見る視点が違いながら、似たような写真になるのは不思議でした。

彼はASA400、私は100を使います。時々露出計の数値を訊きますが、

彼は少しづつ勘で補正をしているのだそうです。何と立派な事よ。然し、四つ切りに伸ばしたのは、

私の二枚だけでした。残念ながら、今度の山行で良いのが撮れたら、

おまえのも伸ばしてやると言う事にしました。

その、今度の山行というのは、夏休みの雨飾山で、なかなか良いのが撮れません。

やはり山頂で、先に着いた彼はちらっと見えた遠くの山を見逃しませんでした。

私は次女のお供をしたので、到着した時は雲の中。残念でした。 

 

 私の愛機は、ニコンFです。FE10を買ったのですが、これは露出が自動で行えるので便利です。

けれども、殆ど使いませんでした。自動で撮ると、何だか尚更面倒くさくなるのです。

何所からどこまでを測光しているんだろうと、つい考えてしまいます。

けれども、付属のズームレンズは良いものだと思います。

ある程度までの近接撮影が出来て、尚且軽いのです。一年も経たないうちに、Fを貰ったので、

早速山に連れて行きました。

これは、重いのです。疲れます。でも、使い易さは抜群だと思ったので、

やはり「愛機はニコンF」なのです。

露出計は、絶対に必要だとは思いますが、FE10ではファインダー内に光るランプが点くので、

何だか最先端の人種になっちまった様で、しっくりしません。何にも無い、ただ画面だけが見えるFは、

何とすっきりしているのでしょう。

シャッター速度や絞り値が、ファインダー内に表示される事が望ましいと、

評論家やプロの写真家が言いますが、それが真実なら、私は天の邪鬼です。

 

  東西の冷戦が無かったならば、間違いなく東ドイツが、一眼レフの覇者になっていた筈だと言われます。

世界初のペンタプリズム式35mm判一眼レフは、1948年に試作され、

私が生れる一月前の1949年9月に発売されました。

その後、東西のツァイス社間の裁判に負けて、コンタックスの名は消えました。

東ドイツでの先進的な開発は、様々なものがあったと言われます。

最後の機種、プラクチカBX20sは1990年7月から8月まで、37台が生産されました。

そして、東西の壁が無くなったのです。カール・ツァイス・イエナのレンズの優秀性は折り紙付きです。

余談になりますが、戦後ソ連でも、コンタックスが生産されました。戦前型のレンジファインダー機ですが、

'KIEV  "CONTAX "  1947 Less than500 produced.'という記事があります。

  "RUSSIAN and SOVIET Cameras"                                           

  コンタックスの名は後年、日本のヤシカによって復活されました。名門中の名門と言われるブランドです。

日本の一眼レフに駆逐された形になったと言われますが、ドイツやスウェーデンのカメラは、

金属が非常に優秀であると言われます。詳しくは知りませんが、例えば車の修理屋さんから、

ベンツのトラックについて、「すげえもんだ。ビス一本から材質が違う」と言う話を聞きました。

また、別の人からは、テープレコーダーも、汗をかかないと言われました。

暖かい部屋から寒い戸外に出ると、カメラが汗をかきます。

私は日本のカメラで育ったので当たり前の事と思っていましたが、それが本当なら凄いものだと思いました。

 今はプラスチックのカメラが主流です。シャッターが完全に死んだ電子式カメラのボディーを、

木槌でこんこんと叩いてみましたが、割れなかったので、かなり丈夫だと思います。

念の為付記しますが、修理するにはシャッターユニットの交換その他で、

新品を 買う程金がかかるそうなので、壊れたままにしてあるものです。)

現在は、電子式の機械が主流です。歯車が沢山あったり、

それを取り付ける金属板が重なっていたりする旧式のカメラは、製造の難しさとともに、

メンテナンス面でも不利です。然し、今再び見直されています。大変よい事です。

修理屋さんの職人的な技術は、決して絶やしてはいけないものだからです。

需要があれば製品が出る、壊れれば修理屋さんが必要、その為には後継者の育成が必要になります。

ユニットの交換で修理が完了するとか、或は永久に復活出来ないなどというのは、

人間がやってはならない事の一つです。極端に言えば、機械と謂うものは故障しても復活出来るものであり、

永久に壊れたままのものは機械と言ってはいけません。                                                     

 写真を撮る電子機器、これはすさまじい速さで進化し続けています。半年も経てば、すっかり旧型です。

こういう状態は好ましくありません。仕方がない事なのですが、これとてお金儲け主義の為に、

本来の人間の有り様から、外れているのです。次々と、消耗品の如くに出てくる製品は、

その都度「地球にやさしい」と言う触れ込みがついています。

地球にやさしい農薬、人間にやさしい兵器。

 これが、例えばROMの交換、更にはデータの追加だけで性能の向上が図られたら、

本当の進歩だと思うのですが。然し、多分「時代」に逆行する考えです。

本当に地球にやさしい自動車があるとすれば、しょっちゅうモデルチェンジはしないと思います。

カメラも同じ事で、新製品ばかりがもてはやされます。本当のあるべき姿とは何か。

そいう事を考えて、修理再生という文化遺産を後世に伝えて欲しいと思います。

それが、地球に優しい事なのです。

 

 韓国では、漢字の復活が実現しそうです。同じ文化圏の中で、意思の疎通が全く出来ないというのは、

何やら不可思議です。私は娘が中学に入った時、日本語についての簡単な入門書を作ってやりました。

そこで主張した事が、漢字の統一です。すでに漢字を放棄したヴィエトナム以外の関係国は、

同一の漢字を使うべきであるという事です。

中国の簡体字を採用してもよいから、出来る限り早期に解決すべきだというものです。

そして思いもよらなかった韓国の参加です。

まだ、どんな漢字を採用するかは決まっていないそうですが、今が最大のチャンスであり、

最後のチャンスです。

 ラストチャンス。英語で言えば映画の題名のようなこの言葉は、決して軽々しいものではありません。

風景にしろ動物にしろ、植物にしろ伝統文化にしろ、シャッターチャンスを逃してきました。

人生に於てもその通りです。

ですから、常にカメラを携帯すべきだと思うのです。芸術性は二の次として、とにかく写真を撮る事です。

私は一時、写真から遠ざかっていました。子供の頃から憧れた映画が、簡単に撮れる時代になったからです。

ビデオカメラの高いのを買って、「絵が動く」という感動に浸っていたのです。

然しスチール写真のような携帯に利便な物ではありません。

三脚を担ぐという行為が、次第に億劫になったのです。これこそが私のぐうたらな真性です。

いかに写真を撮りたいと思っても、その機材の大きさに負けてしまいました。

ポケットに入るカメラこそが、私の理想です。ビデオであれ、シネであれ、スチールであれ、

ポケットの中で良い子になって居てくれるものであれば、私は大歓迎です。

それが、実現しそうな時代になりました。ビデオでありながら、ディジタルカメラでもあるという

小さな物が出てきたのです。また、写真機でありながら、動画を撮影出来るというのもあります。

「時代」に迎合しないと言っても、それ程には頑なでありません。良い物は良いと、きちんと評価します。

もう少しで、それがポケットに入る大きさになるでしょう。

考え方としては、もう一つの道があります。

ポケットを大きくする事です。大きくする事で沢山の物が入ります。頭のポケットも同じです。

その中に入れる物としても、二つの考え方に分れます。

 何でもかんでも広い分野で物事を収集する。

 特定の分野に限定して深く追求する。

写真を撮る機材は勿論そうなのですが、被写体に関しても同じ事が言えます。

機材によって被写体を選ぶのか、被写体によって機材を選ぶのか。どちらにしても、

何の為に写真を撮るのかという事が大切です。自分の行動は、狭い範囲で限定されます。

その中で、最大限の被写体を探すのも一つの道、決めたテーマに沿って深く追求するのも又ひとつの道。

結局は、道楽として気軽に考えるものであると同時に、

人生そのものとしてチャンスを活かす事だと思います。つまりは、私如きでは、写真論が語れないのです。

方法論だけです。人生論が語れないのと同じです。

 

 何時の日にか、写真を撮る事が自由に出来る様になるのでしょうか。

今でも、私なりには自由です。でも、待つという時間はありません。蝶の来るのを待ち、雲の動きを待つ。

花の咲くを待ち、また落日を待つ。音楽を聴きながら、コーヒーを味わい、原生林の中で幸せに浸る。

時にはイワナを捕って食らい、時には蛇を見て大声を上げ、逃げる。

 

 深々緑樹下

 沈在芭蕉花

 吾回想愛人

 往来万緑下

                                                                                

                                    終り    March 25,1999