写真を撮る 3

 

 21世紀になった。子供の頃、21世紀というのは遥かな未来だった。

自分の目で21世紀を見るなどとは、考える事もなかった。それ程にも遥かな未来だと思っていた。

簡単な算数が分かれば、五十歳を過ぎる頃だという事が分かった筈なのだが、

それにしても五十歳は、随分遥かな年齢であった。

 

 さて、新しい世紀を迎えて、何か決断はないか。

人並みに抱負の様なものを書きたいのだが・・・・・。

 実は、買ってしまった。

  Voigtl*nder BESSA-L                      body No.00019197      black

                SUPER WIDE HELIAR 15mm F4.5  lens No. 9960959      black

 

 フォィクトレンダーのベッサと言えば、あの、ベッサだ。

俺が壊した父のベッサは6×9判で獨逸製だが、こちらは35mm判、日本製。

然も当時では夢でしかなかったであろう、15mmと言う、超広角。 2ω=110゚。それも、

歪曲収差が殆どない、誠に夢の様なレンズだ。技術の進歩という時代に恵まれた。ありがたい事だ。

昭和初期には、確かに夢のレンズだった筈だ。

昭和が終わる頃であっても、私にとっては多分に欲しかった焦点距離だったが、高価で、

然も魚眼の様な物しかなかった様に思う。

カール・ツァイスの、ホロゴンと言うカメラがあったが、手が出なかったし、俺みたいな手持ち撮影派では、

F値が暗すぎた。そして、何よりも諦めの方が大きくて、使ってみたい気持ちはそれほどには強くなかったし、

特に撮りたいという被写体もなかった。それが数年前、コシナから発表された時に、急に現実味を帯びて来た。

そして、写したい風景があった。以前書いた通りである。

何故、今まで購入出来なかったかというと、お金がなかった。

それで、少しづつ貯金して、やっと買えた。勿論、レンジファインダーの、BESSA-R も発売されていたが、

私はノンレンジファインダーで十分だ。ヘリアー15mmは、距離計に連動しないから、これでいいのだ。

考えてみれば何と贅沢な事だろう。一つの風景の為の一つのレンズ。

そしてそれに付随する、私には余りある機能を持つ一つのボディ。まさに、夢の様な贅沢だ。

インダスター・レンズは、外付けのファインダーを使えば良い。無理をして買わなくても何とかなるだろう。

それにしても、フォィクトレンダー社のレンズ名が復活して、然も高性能となれば、

何時までも古いレンズに拘らなくてもよいのだと思った。設計や製造が最新のものなら、

新しいレンズの方が優秀だと思う。私のような下手糞ならば尚更の事だ。

それに、何より逆光に強い。                                                     

   

  SKOPAR  ULTRON  HELIAR  NOKTON                                          

 名前に惚れた訳じゃない。ただ、子供の頃から知っていたから、馴染み深いのだ。

然し、フォィクトレンダーのこれらのレンズへは、次第に憧れが強くなっていた。

ツァイスレンズへの憧れと同じだった。

以前言われた事がある。何故ライカではなくて、フォィクトレンダーなのだ、と。

正直に告白しよう。エルマーの名は知っていたが、やはり、物心付いた頃に父が使っていたベッサが基準になった。

それから次第に知恵がついて、この会社に惚れた。

あの、Voigtl*nder のロゴが好きだった。この会社のその後の顛末を、私は知らない。

ツァイスと一緒になった広告を見たような記憶があるが、定かでは無い。

 私はビトーBというカメラに憧れた。小柄で、単純で、廉価で、然もスコパーが付いていた。

山の風景写真を撮るなら、きっとレチナより使い易いと思った。然し時代は一眼レフだった。

 

 あれから三十有余年。何と日本製の、ベッサに巡りあえたのは幸運というべきだろう。

これから、アポランサー125mm2.5 SLと云うレンズが発売されるそうだ。

このレンズ名を知ったのはつい十年前後の事。アポランターと呼んだ。実はコシナ社も、

アポランターと称んでいる。かなり有名なレンズだったが、不覚にも知らなかったのだ。

これは、一眼レフ用に発売との事。38cm迄寄れるという事がどの位の倍率なのか分からない。

1/2 倍以上なら、と期待する。今、マイクロニッコール105mmの導入を考えているからだ。

価格も、ニッコールよりちょっと高いかという程度だろうと推察する。

但し、接写時の性能がどの位なのか、分からない。

単にピントリングの可動範囲を広くしたものでなければ良いのだが。                                                          

とにかく、日本のコシナ社に、乾杯!(と、つい、ウヰスキーを飲んでしまった。)

 

 デザイン面から見て、ツァイス・イコンSL706(M42)、フォクトレンダーVSL−1。

この、兄弟かとも思えるカメラは、良いなあ。ひょっとして全く違うのかも知れないが、ロゴも、形も好きだ。

ローライのHFTゾナー85mmで画質に目覚めたのだから、

何とも、ドイツびいきになるのは致仕方ない。それと、少年の頃の摺り込みによる影響も大きい。

あの頃父は、エルマーとテッサー一辺倒だった。エルマーは良いぞ。テッサーは良いぞ。

その他に好きなデザインは、ニコンFだなあ。

 写真を撮りたい人が、カメラのデザインを云々するというのは、非常に危険な事だ。

写真を撮りたいのか、カメラが欲しいのかという境目に立たされると、幾ら写真の出来が悪くても、

カメラやレンズのせいにしてしまう危険が大きい。撮影技術もそうだ。

確かに写真を撮るには技術が必要だ。それが、技術論を振り回すようになると、危険だ。

充分な技術があるのだと勘違いして、機材不足だとか、自分の技倆を発揮出来得るカメラがないとか、

言い訳をしてしまいがちだからだ。慎むべき事である。これは自分自身に言い聞かせているのだが、

果たして心から反省しているのかどうか、疑わしい。

 それでも、私はカメラが好きだ。カメラという、写真機が好きだ。だから、どんな言い訳もせず、

「俺は写真を撮るのが、下手だ。」と公言して憚らない。実際、そうなのだから、どうしようも無い。

だから、ひょっとして、あのレンズやカメラを使えば、良い写真が撮れるだろうな、などと錯覚するのだ。

 

 スーパーワイドヘリアー 15mmで撮った写真が上がって来た。確かに歪曲収差は、少ない。

周辺減光は、思ったより少いが絞っても余り変わらない。まあまあだと思う。

注意すべきは、カメラの傾きだ。水準器は、必需品だと思う。然し、今のところは見当で水平を探そう。

その訓練をしよう。いつも水平に構えられると云う事は、精神をきっちり

と真っ直ぐにしておく事の訓練にも同しい。

 画質も良い。薄明の川口インターで待機中の除雪車を撮ったが、綺麗に撮れている。

除雪基地内の部屋の写真は、周辺に乱れが見られるが、私は構わない。それほど気にならない程度だし、

絞り込んだ時の画質に期待出来るかも知れないからだ。或はこうも考えられる。

写真の中心部にピントを合わせたのだが、周辺はそこよりもかなり近いのだから、ピントが合っていないのだと。

 また、インダスター 3.5/50mmを着けて2枚撮ったが、このレンズは健在であった。

実に鮮鋭だ。家の壁板が、実によく描写されている。早くこのインダスターも使いたい。

早く春になって欲しい。但し、これはノーファインダーだから、何とか解決策を練らねばならない。

専用ファインダーを買う金が無いのだから、何とか工夫をするのだ。

 その解決法が見つかった。私が壊した父のベッサ、あのファインダーを使うのだ。

早速探し出して、その透視ファインダーを外した。驚くべき事は、そのファインダーが、

非常にスッキリとして見易いのだ。後はシューにはめ込める様にするだけだ。

 

 京セラTプルーフ 3.5/35 Carl Zeiss Tessar T* を買った。(No.442903)

これは悦子の為のもの。登山の為のもの。然し妻は余り嬉しそうではない。ズームレンズが欲しいのだそうだ。

ズームはレンズが暗いと言っても、納得してくれない。

テッサー付きで、然も生活防水なんてカメラは、そうそうあるものではない。そこの所を分って欲しいのだが、

何しろ早く一本撮って貰いたいものだ。そうすれば、35 mm というレンズの意味がわかるだろう。

生活防水という意味もわかるだろう。更には、テッサーの意味も、解ると思う。早く慣れて欲しいものだ。

実は、私が試写をする。2月3日は大吹雪。この日、栃尾又に行って来ようと思いつつ、

NHK-TV の「俳句王国」を見ている。

 テッサーは良いレンズだと思う。私が使ったのは、ローライ35T、シンガポール製だけ。

私は、Made by Rolleiでも、made by Tomiokakougakuでも気にしない。だから、テッサーを選んだ。

妻には、ここを感じて欲しいのだが、ちょっと無理かも知れないなー。

然し、何時かは分ってくれる事を信じよう。                                       

吹雪の栃尾又。余りにひどいのでカメラは持っていかなかった。湯につかって窓の外を見る。

雪が風に舞い、走り、踊る。綺麗だ。

 

 またしても白戸川の話になる。

白戸川こそが、私の全てにおける原点の様な気がするから、ついつい思い出すのだろう。

白戸で、初めて「戸隠升痲」を見た。綺麗だった。紫の、片栗の花の中に混じっていたから、暫くは分らなかった。

ぜんまいを干す煙に眼を痛めて、世界中がぼんやりとしか見えなかった時、

滲んだ小さな紫の花を、これは片栗ではないと、認識した。

慌てて、首にぶら下げたアサヒペンタックスAPを構えたが、何しろ眼が見えない。

初めて見る花だと思った。これは撮影しなければならない。

気は焦るが、ピントが合わない。勿論、距離環の数字も見えない。どうしよう。背には相変わらず、

荷物が重くのしかかっている。

さて。この時、私は全てを、勘でセットした。

シャッターダイアルは、引っ張って角度を勘で合わせた。絞りも、一旦開放にしてからクリックを数えた。

勿論、ピントも同様で、最短距離にセットした。構図もまた、ぼんやりしたファインダーで、

何とか紫の花を真ん中に決めた。勿論、タクマー2/58mmは、近接が利かない。

これで、後ほど本を見て、「戸隠升痲」と同定出来る写真が、撮れたのだった。

フィルムは、多分富士カラー、ASA100だった筈だ。

恐ろしい迄の、山勘撮影だった。後にも先にも、これ程に大雑把な撮影をした事は無い。

今は老眼になって、レンズに刻まれた文字はよく見えない。良くは見えないと言っても、

明るい時ならば何とかなる。何時か、三脚に NFM2をセットして、シルバーラインへ行った時、

シャッターの設定に困った。真っ暗だ。駒ケ岳に懸かる天の川を撮りに行ったのだが、バルブの位置が分らない。

車に戻り、エンジンをかけて、前照灯を点けて、絞り開放、無限遠、シャッターBにセットした。

 さて、かの戸隠升痲の写真は十分に役に立ったが、その後、銀山は二又川へ行く迄、再会出来なかった。

この時はビデオカメラに凝っていた頃で、スチール写真は余り撮っていない時期である。

もっとも、使えるカメラがなかった。ペンタックスLX、タクマー2/58

SMCペンタックス4/300A★。然もLXは時々シャッターが落ちなくなっていた。

この頃に再会した戸隠升痲は、白戸の花よりずうっと草丈が大きかった。こんなに大きかったっけ、と、

二十年も前の写真を探し出して比べたら、やはり白戸川のは片栗と同じ位しか背丈がなかった。

証拠写真の成果である。あの時、見えない眼でも、写真を撮っておいてよかった。

 

 白戸川時代、私はフラッシュを持たなかった。今思えば、どんな小さなストロボでも、

十二分に役立ったのだが、あの頃はその必要性を認めなかった。

だから、どんな暗い時でもスローシャッターを切った。

囲炉裏の火に温まっている自分の足。夕方の母の炊事。夜の父のぜんまい揉み。

何をしているかなどは問題でなかった。何が写っているかなども、問題ではなかった。

とにかく、幾らブレてはいても、撮影した私には、解説が出来る。

 その後、誰かにストロボを貰ったと思う。自分で買ったという記憶がない。

早津先生から教わった通りに使った。ゾナー2.8/85mmとストロボの光は、素敵に融和した。

が、またしても使わなくなった。

 

 夜勤に備えて湯に入ろうと、栃尾又温泉へ行った。ちょうど御主人がいて、花の写真の話をしてくれた。

彼の写歴は非常に長い。

 彼は、余り絞り込まないと言う。F5.6 とは言うが、彼のカメラはアサヒペンタックス 6*45 だから、

私みたいな35mm判とは感覚が全く違う。私は、彼に訊いた。

「三箇葉の花の白が、非常に良く出ているが、露出はどうするのか。」

「絞りをF5.6 にして、後はオートで撮る。」勿論、マクロレンズだ。

普通なら、-1位の補正をすべき被写体だと思うのだが(私はそうしないと、白がとんでしまう)、

彼は全くカメラ任せであるというのだ。驚きだった。

彼はリバーサルフィルムを使う。そう言えば、浦安の叔父さんもそうだ。叔父さんは、

リバーサルの方が良いからと、時々フィルムも呉れたのだった。叔父さんも、6*45を使う。

そして、私には信じられない様な美しい写真を撮っている。

私も、若し同じ機材を使ったならば、あんな綺麗な写真が撮れるのだろうか・・・。

No! Nein! Недт!

私には良く分っている。所謂、「腕」の差なんだ。

米山さんも、彼等と同じ機材だ。してみると、「腕」が上がったら、私も中判カメラが使えるのか?

どうもそうではない様な気がする。プロの方々も、35mmを使って、あんなに良い写真を

モノにしているのだ。何だか、溜め息が出て来た。

ここに至って、はっきりと諦めねばならない。私は「腕」が悪いのだと。

幾ら頭の中で分っていても、何だか少しは自分に援護したかったから、同じ戯言を繰り返

していたのだ。だから、白戸の時代を思い出すのだ。初心に帰れと、思い出すのだ。

思い出そう。一生懸命に思い出そう。

 

 あれは、滝の沢という所であったか。

白戸川に注ぎ込む、結構な滝があった。その滝を回り込んで登る急坂路は、父と母が伐り開いた。

登るに容易でない道は、下りるのも難しい。然し、登りつめた滝の上は、広い草の平地であった。

その頃は、大抵の植物の名を知らなかった。だから、何という草の茎だったか分らないが、

白い、2mm位の、変な虫がゆっくりと動いているのを発見した。

触ると、白い粉が指についた。少しづつ白い粉を落とすと、黒っぽい、1mmにも満たない虫になった。

それでも動いていた。小さな蟻より更に小さい動物を、この時に、初めてみた。

私は、物知らずであった。今でもそれは続いているが。

写真を撮ろうと、タクマーを外して逆に着け、手で押さえて、体を前後してピントを合わせる。

シャッターを切るが、何とも頼りない感触だ。ピントは浅いし、露出補正の量が分らない。

今の様なマイクロレンズが欲しかったが、そもそもそんなレンズの存在を知らなかった。

勿論、逆光で撮る。原生林から、写真は逆光で、という事を学んでいた。

ひょっとすると、馬鹿の一つ覚えとも言う。

その虫の写真がどうなったか、記憶にない。あの頃は、フィルムを現像すると、引き伸ばし機にかけて、

これはと思うものしか引き伸ばさなかった。だから、ネガ像を見ても何だか分らなかったのだろう。

カラー写真ならば一枚づつ焼いて貰えるから、撮った写真は残るが、

あの頃、モノクロームでは余り引き伸ばさなかったのだった。そして、フィルムは傷だらけになった。

曽ての自分を叱らねばならない。

それにしても、勿体無い事をしたものだ。写真は、記録である。私にとって、写真は、記録だった筈だ。

決して芸術ではない。

さて、この「滝の沢」であるが、この平地以外に覚えている所がない。登るのが大変だったから、

足が向かなかったのだろうか。最早30年以上も前の事だから、いちいち沢の内容迄覚えているものではない。

でも、結構色々な所を覚えているものだ。

前の沢、中ノ沢、池之沢、裏の沢、滝の沢、上の沢、高地。

全く覚えていないのが、滝の沢だなあ。或は、ヘビに出合って嫌いになった沢だったかも知れない。

上の沢の大きな滝は、綺麗だった。父が滝壺を、覆っている雪渓の上から覗き込んでいる

写真も撮った。高地では、山刈の頃になると釣れる、岩魚の写真も撮った。

写真を撮る事が、とても楽しかった。嬉しかった。

山の生活が、苦しかったが、楽しかった。幸せだった。

 

 白戸川と阿賀野川の間に、結構高い大熊峠がある。この峠のてっぺんに、石楠花の大きいのがあって、

沢山の花をつけていた。前の沢を登りつめても、峠の上に出られた。

ぜんまいを採りながら、前の沢から詰めた時、この大きな石楠花に出会った。

父は、百余の花を数えたという。私もまた反対側から百余を数えた。然し、それでもほんの一部でしかなかった。

木は、私が見た中では最大級ではなかったが、花の多さではこれが最高だ。

 アサヒペンタックスAP、タクマー2/58mm, フジカラー100。

この頃は、カラー写真に限らず、同じ被写体を多くは撮らない。フィルムが勿体無いからだ。

それでも、この時は記念写真と称して、2枚撮っている。父と石楠花、私と石楠花。

私は何時も、フィルムが欲しいと思っていた。あれもこれも、何でも撮りたい事の外に、

殊にカラー写真では、露出で悩んだ。せめて、もう一絞り加減したカットを、予備に、撮っておきたかった。

SPを入手する迄この悩みは付き纏った。大量消費は私の理念に反したし、そういう時代ではなかった。

一枚の写真は、一回のシャッターに賭けた。だから、失敗も多かった。

あの頃は、「何時もカメラを携行」してはいなかったのだ。フィルムの量に限りがあったのと、

APが、ちょっとしたショックで、よく壊れたのだ。奥山で故障すれば、最早厄介なお荷物にしか過ぎない。

だから、翌年は、予備機としてSVの中古を買った。

更に三年目に、漸くTTL露出計がついたSPを買ったのだった。初めて買った「新品」だ。

白戸へは3年しか行かなかった。

林野庁から厚生省へと管轄が代わり、手続きの不備から白戸への入山が閉ざされた。

だから、SPは1年しか参加していない。

「露出が全駒揃っていますねえ。いいですよぉ。」と、ACPの武藤先生に褒められた。

とても嬉しかった。                                                              

                        ACP:All Japan Colour Photo Sociaty.                

                                                                               

 山に入って一ヶ月たつと、そろそろ山刈になる。父と六松さんは山道の草刈りをする。

三日位かかったようだ。そして、干したぜんまいを背負って、これも三日くらいかけて、麓に下ろす。

十三貫位のぜんまいを背負って7時間。帰りに4時間。一日が長い。

カメラを首に下げて、大熊峠から八崎の奥只見ダムを撮る。

「写真というものはなあ、もっと時間をかけて撮るもんだよ。」駒ケ岳で管理人をしていた「六さん」が言う。

「光を見て、雲を見て、一日中でも待つもんだよ。」と、更に言う。

山岳写真家を先生に持つ六松さんの言う事だから、それは本当なのだろう。

然し、時間はないし、背には十三貫。

二十歳の頃の私には、ちょっと無理な相談だった。

 麓へたどり着いて荷を下ろす。そして阿賀野川は敢えて渡らず、大鳥へ通じているトン

ネルの、ズリ出し穴にデポすると、また峠を越えて小屋に戻る。

帰りは楽ちん、と思いきや、疲れた体に峠の急登坂は辛い。写真を撮るのもおっくうだ。

だから、貴重な風景を沢山撮り損なった。今思えば、の話である。

 およそ一ヶ月ぶりに新聞の切れ端を見る。なかなか読めない。漢字が読めないのだ。

おかしい。何か変だ。山では本を読んでいたから、漢字が読めないというのはおかしい。

気がつくと、又ぞろ漢字を飛ばし読みしている。一時的な健忘症だろうか。

その新聞の切れ端で初めて、自然保護という言葉を見たのだった。

毎日新聞の社説で、昭和44年だと記憶している。

 秋になると、冬囲いをする為に白戸を訪れる。

大熊峠の紅葉は美しい。全て原生林だ。見える涯迄が、全くの原生林となると、このあたりでは貴重な存在だ。

小屋を、雪から守る為に突っかい棒を何本も立てたり、

春に川から拾い上げて割っておいた焚き物にかさ掛けをする。三日間位で、仕事をしたり岩魚を取ったり、

茸を採ったりするのは、若い私には半分以上遊びの気分。

然し、いつ雪が降るか分らない十月である。雪の峠を、冷たい足で越えた事もあった。

母は、地下足袋を嫌って、何時も鞋だった。さぞかし冷たかった事だろう。

雪は、春の残雪よりも初雪の方が冷たいと思う。芯から凍える。

 この時、一本位撮ってから急に、私のペンタックスはシャッターが凍って、動かなくなった。

阿賀野川迄下りると、また、元気になった。初めての経験だった。その後も何度か凍りつかせたが、

驚かないですんだ。然し、初めてというのは驚く。突然シャッターが落ちなくなる。また故障かと悲嘆にくれる。

その頃、私はAPが南極で越冬した事を知らなかった。知った時は、まさかと思った。

ニコンFは、凍らないようにシャッターのオイルを抜いてくれると聞いていたが、

ペンタックスなどは到底使い物にならないと信じていたからだ。大いに驚いたものだが、幾らペンタックスだって、

オイルは拭き取って使ったのだろう。耐寒オイルなどなかったと思うのだ、あの頃には。

 凍った足を引きずりながら、阿賀野川迄辿り着くと、これを渡れば新潟県で、

然も家に帰るトラックが対岸に停めてある。

たった三日の旅でも、これは嬉しい帰還であった。

 

 

 

 コシナの、Voiktl*nder ベッサL、スーパーワイドへリアー 4.5 / 15mm

3本目が仕上がってきた。うーん、良いなあ。

普通の風景ならば、これ程の広角レンズを使ったなどと、人は思うまい。水平さえ出しておけば、

これは万能レンズと言えよう。ピントが良い。歪まない。

不注意で自分の指が写ってしまったのが数カットあったが、まさかここ迄は写るまいとの誤算だった。

 何だか春が待ち遠しい。ぜんまい採りに山へ行って、早くこのレンズで撮りたい。

あの雪渓、このぶな林。新緑。そして、あの水芭蕉の群落。

 

 ウッディの米山さんに会いたいと思って訪ねた。そこへ自在館さんが来た。

写真の話が弾む。やはり、リヴァーサルを使えと言われる。

 米山さんの写真は、とても綺麗だった。版画も、すごく上達していた。

凄い程の版画があった。青空に白い山、一見何のてらいもない横長の版画は、全く凄かった。

普通の人が普通に彫ったように思わせる所に、この作品の凄さがあった。

雪国の民家は、油絵を思わせたが、それでも、単純に彫られた雪山が、凄かった。

私はその事を言わないでしまった。言うチャンスがなかった。

 

 それにしても、レチナ2.aは、修理不能なのだろうか。何時になっても帰って来ない。

クセノン2/50mmは、良いレンズだと思うのだが。ああ、あのカメラも、早く使いたい。

ひょっとして、白戸川にはあのカメラが似合いそうな気がする。

原生林の光の中で、クセノンはどんな映像を作ってくれるだろうか。

ゴーストが出るから太陽を入れない様に頑張ろう。

然し、逆光で撮るのだ。ブナの若葉が重なり合って、光が丁度良く滲んで、綺麗だろうなあ。

滲んだ光が歌う、踊る。

父母がイワナを釣っている。

きっちりと写し出すだろう。跳ねる岩魚の姿を。                                   

雪渓の上を溶けた水が流れる。水が笑う。

私は、何時もレチナを開いている。瞳が歌う。   Retina:ドイツ語デ瞳ノコト。

黒い蛇腹が、早く写せとせがむ。待て待てと、私はフィルムを巻く。そして、じっくりと

光を撮り込む。

良いなあ。ああ、良いなあ。Schneider Kreutznach !

 尾根に登って山脈を、川に下って水石を、光の中で原生林を撮る。

ああ、フィルムが無かった。あの頃、トライ−Xが百本もあれば、私は幸せだったろう。

如何程に、幸せだったろうか。

 

 

 ニコンNFM2の生産並びに出荷が終了した。

そして、FM3A となって、電子シャッターと機械シャッターのハイブリッド機に生まれ変わった。

そんな事とはたった今まで知らなかった。だから寝耳に水のニュースだった。

それがどうした、という訳ではないが、アサヒカメラ誌の記事を読んで、これは大変な事

になったと思ったのだ。

 実は、ペンタックスLXが、1/75s.以上 1/2000s. 迄の、機械式シャッターをも搭載し

ていたのだった。それが、今度は全速両方使えるというのだ。

画期的だと、私は思う。私には理想の方式だ。だが、フィルムの巻上が、ラチェットでは無いという。

NFM2 で不便に感じていた所がそっくり継承された。これは残念。

然し、ファインダースクリーンが明るくなって、しかもNFM2にも流用出来るという。

これは朗報。FE2が欲しかった私としては、このニュータイプは絶対に「買い」なのだが、

ちょっと待てと心の奥が言う。

スクリーンを替えれば、それで良いではないか。

然し、と、もう一つの心が言う。

私は、FE2の中古を買って、2台のニコンを持ち歩きたいと思っていたではないか。

やはり、咄嗟の撮影には、オートマチックが良い。幾ら使用頻度が低くても、チャンスを

逃がしてきた経験が、これを欲している。

さあ、どうする。

まあ、取り敢えずは静観するしか無いのだが・・・。

 それにしてもニコンは、思い切った事をやったものだ。ハイブリッドとは思いもよらなかった。

電池の心配をせずに撮影出来るなら、それに越した事は無い。TTLは、中央重点測光を継承する。

 以前、NFM2 改造法案という提議があったが、残念ながら余り参考にして貰えなかったようだ。

実は、私も私なりの法案を持っていた。既にFM3A という機種が発表されてしまったのだから、

これを元にした改造法案となってしまうが。

 1・巻上装置は小刻みが可能である事。

 2・露出計は、スポットと中央重点式が切替可能である事。

 3・ファインダー視野率は100%に近い事。

 4・視度補正機能がある事。

この位で十分だと思うが、使っている内にまた追加条文を見つけるだろう。今はこれで良い。

それにしても、この機械は耐久性に問題が無いのだろうか。

シャッターが切れないという事は、とても切ない事だ。

期待したい。

 

 写真は、とにかくレンズと露出だ。この性能が、私のような者には「ものを言う」。

だから、若しもカメラの内蔵露出計を使用するならば、安心出来る物でなければならないし、

安心出来るように「固有の癖」を早く見つけなければならない。

FE10では、2/3絞り位プラスの傾向があった。FM2では、余りそういう認識を持たなかった。

電池を入れないで適当に露出していたからだ。然し接写では必要な事。心しよう。

更に大切なのが、ピントだ。私の目は若い頃から物がはっきりとは見えない。

何時もまあまあの合わせ方でやってきた。

だから、明るくて合わせ易いマット面というのは、本当に有り難い。風景ならば目測で良い。

少なくとも私には、だ。然し昆虫や花の接写も、ずうっとやって来た。だから、狂っていないピントが欲しい。

 

 想えば、良くレンズをひっくり返して使った。

それしか方法が無かったせいもあるが、まあ、接写が好きだったのだろうと思う。

殊に、山の花だ。綺麗だったなあ。

 白戸川の岸に降りて、毎朝のお勤めをする。鼻先には、もう綺麗な花が咲いているのだから、

写真を撮るのが当たり前だった。何処へ行くにも二本の足で歩く。

山径は、足許をしっかり見ながら歩く。当然、花が目に入る。馴染みの花でなく、然も美しい。

撮らぬ奴は、へそ曲りだろう。二輪草、戸隠升痲、キンポウゲ、石楠花、白根葵、山葵・・・。

蝶、山椒魚、岩魚、蛇に蝮、得体の知れない大型の哺乳類、熊、羚、蜂、小さな虫達。

空、風、新緑、水、岩、草、星、雲、そしてそれらを包括する原生林。

それらは殆どタクマー 2/58mm によって撮られた。富士フィルムSS、UVフィルター。

だから、レンズはひっくり返されなければならなかったのだ。

そして、露出倍数というものを、失敗を通して覚えたのだった。覚えたというのは正確な言い方ではない。

その場凌ぎで、何とか補正しようと努力しなければならない事を知ったのだった。

勿論カラー写真ではないから、私のようないい加減さでも間に合う事は間に合った。

自在館さんや米山さんが、リバーサルを薦める。

いい加減な露出の私は、「有り難くお説の通りに致します」と言えない。

 では、マルチパターン測光を使えば解決するのだろうか。

今度は、±の補正ダイヤルで悩むだろうという事が、目に見えている。そう言うのは好きになれない。

好き嫌いの問題でなくて、露出が正確であったらそれに越した事はないのである。

が、私はその、最新の機構を使う事が出来ない人なのだ。そうなのだ。アナログ人間なのだ。

それでも、TTL露出計を使い始めたのは早かった。

ペンタックスSPを手に入れたのが多分1970年頃だから、もう30年になる。

まあ、次第に使わなくなって、4年位前にニコン党になってからあらためて本格的に頼り始めた。

とは言っても、New FM2を使い始めた頃は、カメラに電池が入っていなかった。

米山さんに、露出計の入っているカメラを使いなさいと言われてからだ。

やはり、露出計は必要だった。

 

 大島月庵先生の、雪国の一年を描いた画集を見た。

素直に、良い本だと思った。殊に、年寄衆には涙が出るほどに懐かしいだろう。

こういうのを、写真でやるべきだし、浦安の叔父さんが力説していた事でもある。

 私は山を下りた1978年、湯之谷村の生活を、産業、行事、観光・・・等幾つかの分野に分けて、

動く映像に記録すべきだと力説した。教育委員会の見解は、予算が無いという事だった。

残念だったが、私は勿論無一文。断念せざるを得なかった。

あの頃、動く映像と言えば、ビデオがあった。然し情報量の不足は、今とは月とスッポンほどの差がある。

だから当然16mm映画という事になる。確かにお金はかかるが、

使わない施設等を造るよりも遥かに低予算ですむ。湯之谷村が文化的に遅れている証明を見た。

所謂箱物行政で、一部の業者の懐を肥やしているとしか思われなかった。

私は、然し諦め切れずに、300万円という超低予算を組んで再提出した。これも駄目だった。

mmシネ映画という、最低の記録方法だった。

 あれから20余年、まだまだ、この村には、予算が無い様だ。

既に廃れてしまった風習が多くなってしまった。風景もだ。

後戻りは出来ないが、前にも進まない。映像の記録性を理解しているのは、変人だけだ。

 

 ニコンFM3Aの記事を何度も読んでいる。

仕様書に、絞り込み測光可能の文字が無い。NewFM2 の仕様書には書かれている。

ひょっとして、Aiマウントでなければ測光出来ないのだろうか。

例えばライカLマウントのレンズを装着して近接撮影しようとすれば、測光出来ないのだろうか。

イワオカメラさんの「カメラフェア」で、よく聞いておきたい所だ。

何故、私はハイブリッドシャッターに拘るのだろうか。F3に憧れていたにしても、

やはり露出に自信がないのが原因だろうか。存在性が希少なので、変わり物が好きなのだろうか。

それとも、やはり電池に拘っているのだろうか。

 チョウが飛んでくる。露出をセットする間に、もう過ぎ去ってしまっている。昨年は何度もこんな体験をした。

花や蛾は動かないから良いのだ。然し、咄嗟に撮ろうとする時に大慌てをする事ったら、恥かしい位だ。

本当に焦ってしまう。

今年はどんな被写体に出会えるのだろうか。

今年は、どんな年になるのだろうか。暑さの夏か、日照りの秋か、雨降る春か・・・・。

大過なく順調に季節が移って欲しい。

動物達や草花が、順調な生活を送れるようであって欲しい。

 上の原の桜井写真屋さんが得意とされていた撮影場所の一つに、大熊峠よりやや下流であろうと思われる、

奥只見ダムが俯瞰される所がある。美しい写真を撮っておられた。

私はその場所の詳細を知らないから同じ写真は撮れない。然し、大熊峠からの奥只見ダム

も、実に綺麗だ。再訪してみたい峠だ。

 峠を越えて白戸川に下りると、極端に空が狭くなる。「朝に屁をこけば夕迄臭し」と云う所。

白戸川を渡り少し上流へ行くと、葦で屋根を葺いた二間三間位の小屋に辿り着く。

父母が造り、十数年を暮らした小屋だ。入山して先ず、小屋に泊まれるよう、冬囲いを解く。

そして翌日からは、本小屋よりも大きい、「ガッキ」を建てる。柱と屋根だけの、作業場である。

この「ガッキ」の中に、台所、風呂場、ぜんまいを茹でる釜場、選別したりする場所など、全てがある。

すべての用意が整うと、初めて山に入り、ぜんまいを取る。

実は、吾が地方では、ぜんまいを「取る」とは言わずに「折る」という。即ち、「ぜんまい折り」なのだ。

 白戸の小屋場から、まず、池之沢の出合へ行く。

何だかカモシカが食った後だなあと思いながらぜんまいを折っている。

小屋に帰って話をすると、何と父が折った後だという。

更には、私が折った後を、変だと思いつつ母が折っていた。笑い話の様な本当の話。

それから、前の沢、裏ノ沢・・と、次第に行動範囲が広がって行く。漸くカメラの出番となる。

然し、晴れた日だけだ。

 朝の光の中で、父と母が雪渓を渡って行く。私は後ろから写真を撮り乍ら従いて行く。

二輪草、片栗、白根葵などの花が咲いている。美しい。原生林を洩れて来る朝日が、花々を照らす。綺麗だ。

大気は凛として冷たく、水は清冽。写真は、然し上手く撮れない。

前にも書いたが、私には F5.6 以上に絞り込んだ事がなかった。

然もアサヒペンタックスAPのシャッターは、最高で 1/500s.だったから、露出過度は当然だった。

真黒なネガを当然のごとくに、電球に透かして見ていた。

引き伸ばしのレンズが、F4だったから、黒いネガはピント合わせが困難だった。

技術的には少しづつ進歩していた。本を読むようになった。良く読んだ。

シャッターと絞りの関係も学んだし、フィルターワークも学んだ。

POフィルターを常用したのはどういう訳だったろうか。あの頃、美人の写真などは撮ろうともしなかったのに。

それだけ、何かを勉強していたのだと思う。このPOフィルターは、常時付けていた。

レンズ保護の思惑が多かったのだろうが、では何故PO−0だったのか。今となっては思い出せない。

 白戸川では、花も咲いていたが、蛇や蝮が多かったには閉口した。私は極度の蛇嫌い。

絵や写真を見てもギクッとする。

高地でのぜんまい折りが終わって本小屋に帰ると、小屋の中は蛇だらけ。

父は叩きながら川に捨てていたが、私は叩けなくて、尻尾をつまんで川へ投げる。その切ない事。

でも蛇を何とかしなければ小屋に入れない。本当に、何十匹も川へ放り込んだ。二人合わせて百

匹は退治たろう。それだけ多かった。ガマガエルも多かった。ドラム缶の風呂に入っていると、

いつの間にか風呂の周りは蛙で足の踏み場もない程になる。風呂の焚き口が明るくて、

この灯りに集まったのだろう。蹲踞の姿勢で、ずらっと幾重にも取り囲み、口を開けてこちらを見ている。

体長15cm程で、黄色いのや黒いのもいる。

夜中に母がギャッと叫ぶ。この蛙が、母の顔の上を横切って行ったという。

 

 映画、それも、ドキュメントという分野を、スチール写真で代行させようという意識はなかった。

が、写真は記録であるという意識はこの頃に芽生えたと思う。

それ迄は、写真という記録媒体に、芸術を重ねていた。写真は芸術である。

早津先生の影響か、本気でそう思っていたという記憶がある。

然し、山の中で、誰一人訪れ来る人のいない山の中で、私は記録写真という分野を発見した。

 

 シラヒゲソウという花がある。

私は白戸川で、この花を見た記憶がないが、これは秋に咲く花だからだろう。栃尾又温泉の、

湯ノ沢という沢の中で一度見たきりで、昨年、二又沢で見たのが二度目。

実に、35年ぶりの再会であった。ペンタックスAPのタクマー 2/58mm を逆に着けて撮った。

勿論モノクロームだ。そして、約10年後に、その名前を知った。

それだけ印象的な花で、ずうっと記憶に残っていた。

昨年再発見した時に、何かの事情があって撮れなかったのだろうが、

近年の私としてはカメラを持たないで入山するという事が珍しい。

 白髭草、という意味なのだろうが、何か、古代中国の儒者を思わせる名前だ。

花そのものも、そういう風情を持つ。

 

 さて、3月4日に大きな買い物をした。

ニコンF2 アイレヴェル、 及びフォトミック初期型の2台を同時に買ったのだ。

レンズは2.8/135mm, 2.8/24mm で、かなり痛んでいるが、描写にはそれ程影響はあるまいと思う。

ボディの汚れはひどく、ファインダーの光学系は黴と汚れで、ちょっと気落ちした。

五十嵐さんから戴いたニコンFの方が程度は良かった。

シャッター速度は大旨良好で、7457408 番の方は、遮光用のモルトが駄目で、ミラーショックで剥げ落ちる。

当分こちらを使っていようと思う。7654273 番は大体良いのだが、底蓋に大きな傷凹みがあって、

74の方と取り替えたいのだが、自力では無理。 手に良く馴染み、Fと同じく使い易い。

Fに比べると、シャッター音が甲高く、デザインもちょっと見おとりがする。

それ程、亀倉氏のデザインが完成されていた事になる。

 

 現在、6月26日。

今年も山の生活が終わった。残念な事に、終わってしまった。然も、余り写真を撮れなかった。何故か。

先ず第一に、ぜんまいが少なく、写真を撮る余裕が無かった事。次に、カメラが非常に重かった事。

更に、今年の重点目標として、鳥を選んだ事。

 鳥を撮るのは非常に困難だ。300mm程度のレンズでは埒があかない。然し、2.8/135mm

以上のレンズを、携帯する勇気が、私には無い。

従って、鳥(例えばオオルリ)の来るのを待たなければならない。そして私は近眼。

主に羽音と啼き声が頼りだ。羽音のしない範囲では、135mmなど役に立たない。

勿論、双眼鏡は常に携帯する。が、殆どの場合、対物側から覗く「拡大鏡」としての役目だ。

花を見たり、小さな虫を見る。

銀山で、大きな鳥を見た。サシバか何かだろうが、私には分からない。それを 135mmで追ったが、

シャッターは切れなかった。蝶もいた。今度は24mmが着いていた。

慌てて50mmに交換する。そっと近寄るが、逃げられた。ブナ林の中で、蝶を追いかけ、道に迷った。

若かった頃も、こんな事をしていたのだったろうか。それ程には道に迷った事もなかったし、

それ程には、おっちょこちょいでもなかった様な気がする。まあ、思い出せば色々あ

るから、それ程威張れはしないのだが。

 

 若かった頃、写真に於て全くの初心者だった頃、私は白戸川にいた。

1969年、アポロ11号が月に降り立った年だ。初めて行った白戸は、私にとって別天地だった。

原生林は知っていたが、暮らした事もあったが、雪は多く残り、鳥も多く、そして獣も多かった。

春蝉は鳴き競い、蛇は沢山いたが、食い物がなかった。

岩魚は6月にならないと、釣り下手の私には釣れてくれない。背負い上げる糧末には限りがあった。

その辺に生えているものを食う。然し、無知とも云うべきか、余り食材の種類を知らなかった。

後年、山菜の勉強をする機会があり、これが駒の小屋での暮らしに、とても役立った。

所謂耐乏生活。今でも多分、余り苦にはならないだろうと思う。が、フィルムだけは欲しかった。

 写真を撮るのが面白くて仕方がなかった。現像する迄仕上がりが分からないから、尚更

に熱中したのだろう。あれもこれも、撮りたいものが山ほどあった。

写真は「記録」である、などと思った事はなかったが、結局は「記録性」を認識したのだった。

それも、一年で、だ。確かに写真の芸術性は知っていたし、早津先生から多少の手解きも受けてはいたが、

やはり「写真は記録」だと思ったのである。

こう認識した事は、私にとって幸いだった。以降の目的、或は目指すべき道が決まったからである。

 

 7月30日、またまたニコンF2を買ってしまった。これはフォトミックS型。

何時になったら軽量のニコンを買えるのだろうか。No.730・・・・。 これで、湖南にF2を一台やれる。

彼はオートマチックのちゃちなニコンが一台しかない。だから、常々予備機を買ってやりたいと思ってはいたのだ。

一番良好な機体、と言っても似たり寄ったりだが、それでも新しいだけ、

76・・・ が良いだろう。シャッターが一番安定している。

試みに、Fを持たせてみた。シャッターボタンが押しづらいと言ったが、俺はそうは思わなかった。

F2の、シャッターボタンの背を高くした物も持たせてみた。これも不評だ。

どうも、俺とは指の構造が違っているらしい。尤も、普通はそれが当たり前なんだが。

さて、これからの俺の主力機と言えば、F,F2となる。重い機体だ。が、俺は機械式の

シャッターで、頑丈なカメラでないと困るのだから、文句は言わないし、

むしろ往年の名機を使っている事に誇りを持たねばならない。

然し、さすがに、Fにフォトミック・ファインダーを着けると重い。

こちらはアイレヴェルファインダーを着けて、山勘露出、否、ジンイチマスター11をフル稼働しよう。

昔を思い出して電気式露出計は使わない。又、楽しからずや。

 

 8月18日。栃尾又の対岸にある遊歩道を登った。

今日は大気が澄み、駒ケ岳が良く見える。さあ写真だとばかりにリュックから写真機を取り出して駒を見た。

フォトミックSの露出計は、何とF4/250s.を指していた。

これはおかしい。レンズは、カニの鋏がないオートフォーカス用。慌ててAi 135mmを装着すると、

思った通りの、F8/250s.。このカメラは時々とんでもない数値を示す。

鎮守様の改装工事終了写真は、Aiレンズの測光が狂っていた。人に例えれば、精神分裂病だ。

だから、ジンイチマスター11が、必要なのだ。

ちょっと説明すると、田中長徳が、自分の山勘露出の事を、

「チョウトクマスター7」と言った。これに倣った。

「ジンイチマスター11」や、「チョウトクマスター7」で世の中を見れば、何とも狂った世界が見えなくもない。

露出計は光を計る。然し、チョウトクやジンイチマスターは、世の中をも測る。

つまり、所謂「基準」となるものに対しても絶対視する事がないのだ。

神の言葉でさえも、無条件には受け容れない。基準が狂っていればすぐさま疑問を持つ。

又、持たねばならない。これが、ジンイチの露出計だ。

写真を撮るという事はこういう事だ。

生きるという事は、こういう事だ。 

 

 

 

 2001年8月19日。

山に行って来た。撮ったのは何の変哲もない普通の写真。凸凹道を車でゆっくり走る。

途中で石清水を汲み、今日の飲料水とする。良い水だ。

これがあるから山は止められない。山へ行くのを、止められない。山があるから、俺の人生がある。

俺の人生があるから、子供達の人生もある。だから、子供達を山で育てた。

ところが、であった。

山小屋の雁木が全部潰れていた。物置小屋も全壊。ああ、と溜め息が出た。

取り敢えず写真家は状況写真を撮った。これを復旧するとなれば、随分材料と手間がかかる。壊すしかない。

残念だが、然し、雁木と物置小屋に今入っている「物」を容れる小屋は、造らねばならない。

写真どころではなくなってしまった。

然し、私はニコンF2フォトミックSにオートフォーカス・シグマ 2.8/50mm マクロレンズを装着して、

茸の写真を撮っていたのであった。

 困った事は困った事。良い被写体があるのに、何故写真を撮らずにいられようか。

この日、私は山小屋の事を無理に忘れて、写真を撮っただけで家に帰ったのであった。

若しこれが、例えば戦場だったらどうしただろうか。隣の戦友が仆れたとしても、私は写真を撮り続けるだろうか。

戦場に行かなかった者の、昔から在った命題である。

私には分らないが、ひょっとすると、私は戦友を放っておくかもしれないと思うのだ。

私は思う。こんな命題に直面しない世代に生まれた事に感謝すべきだという事を。

度胸がない為に、こういう事態に直面しなかっただけの事であって、日常生活に於てもこういう可能性はある。

能うれば、遭遇したくない状況だ。

 そして一週間。再び山小屋へ行く。息子の湖南と一緒だ。

二人でニコンF2フォトミック。神蜂峠で露出計の確認。湖南のカメラと、今日はどういう訳か同じ数値になった。

俺のフォトミオックSが、直ったのだろうか。重いカメラだ。

親子で同じカメラ、それもかなり古い物を使っているなんて、一寸珍しいじゃないか。

一生懸命に雁木を壊して、雨の為今日はここ迄。それにしても、

「湖南、写真は撮ったか。」

「撮らなかった。お父さんは?」

「撮らねえ。」

何たるこっちゃ。

花が綺麗だったなあ。オオサカモチとシシウド。

・・・ そして、ずいぶん酔ってしまった。ビールの後にヰスキイ を飲んでいるからだ。

先ず、一枚しか着ていないシャツを脱いだ。更に一杯飲んだ。そして煙草に火を着けた。

アブが来た。ビシャンと叩いた所が、俺のほっぺた。

「痛えッ!!!!!」  思わず、パンツ迄脱ぐ所だったぜ。

 昨日の続き。

近頃休日が増えて有難い。が、俺みたいな日雇いには、収入が減るという事だから、何とも評価出来ない。

でも、こうやって連休には二日続けて山へ行けるのだ。

今日はジャノメチョウとキベリタテハの写真を撮った。息子の湖南はASA4OOのフィルムを使う。

私は、現在200を使っている。何故か。価格が安かったからだ。

ピント合わせで苦労していると、湖南はすうっと近付いて、一発でシャッターを切る。

腹の中では悲しくても、

「撮れたか。」

「うん。」

「・・・・・」

彼は、ニコンF2フォトミック。小突かないと露出計の針が動かない。

俺は、ニコンF2フォトミックS。滅多に適正露出を表示してくれない。

結構、結構。良いではないか。こんなカメラでも。

 

 近頃、Bessa-L の出番がないなあ。15mmに合う風景がないのだろうか。

そうではない。接写が多いのだ。花。虫。だからレンズは一本だ。

即ちマクロ・シグマ2.8/50mm。湖南はマイクロニッコール2.8/552.8/24mmを持ち歩く。

この24mmという焦点距離は、非常に使い易いと思う。

かなり昔に、東京のカメラ店で24mmは使いにくいから止しなさいと売って貰えなかった事を思い出す。

だから、湖南に与える時に、一歩踏み出して撮れと注意した。

何年も標準レンズしか使わせなかったので、24mmはキツイかな、と思った。

案の定、のっぺりした写真が多い。それでも、山行には必ず持たせる。そして夏休み合宿。槍ケ岳。

雷鳥を撮って来た。見事。

何と、24mmを着けていたのでそのまま撮ったという。このレンズでこれだけの写真ならば、

褒めてやらねばなるまい。然し、もう少しローアングルで撮って欲しかった。

 使い易いといっても、私は良い写真を撮れない。

あの頃、白戸川時代に、このレンズがあったらどうだったか。多分、まともな写真は撮れなかったと思う。

東京のカメラ店の言う通りだったと思う。普通なら、子供に与え得るレンズではないと、私も思う。

然しだ。あの原生林は、とても綺麗に写ったと思うのだ。

モノクロームの陰影が、多少の誇張の中で、素敵だったと思うのだ。

使い易いというのは嘘ではないが、実は被写体に依ってはの話だ。そして、

原生林は素敵に調和すると思うのだ。

 

 原生林の写真が撮りたい。

私は非常に若い頃から、高山よりも原生林が好きだと主張して憚らなかった。何故か。

原生林で生きて来たからだ。子供の頃から、私は原生林で育てられた。

今、一番近い所にある原生林は、会津の、白戸川だろう。いや、黒又川もそうだ。黒又には確かにある。

そうだ、北ノ又川上流にもある。面積は狭いが、あれも原生林だ。全て国有林。

「貴様なんぞの来る所ではない。帰れ。」

国有林ではない所に、『中の岳』の写真を撮りに行った時に、営林署の人に言われた。

私有林に女達を連れてきて、「俺は営林署だ。」と開き直った人もいる。

この地域は、昔から山での仕事をしなければ飯が食えなかった。

だから、営林署の役人はこの地方では神様みたいな者だった。そして彼等も神の如くに振るまったのであった。

今もその名残はある。役人といえば、営林署程威張り散らした役人はいなかったであろう。

役人に逆らうと、今でもそうだが、必ず後が怖い。

それを赦してきた山国の人達を、純朴といえば良いのか、バカといえば良いのか。

或は、ひょっとすると、腹の中では「馬鹿と鋏は使い様」と思いつつ、我慢してきたのかもしれない。

彼等は、ある意味では国の財産を食い潰してきた人達だ。

純朴な山人を騙してきた人達だ。

国有林の中に点在する少しづつの私有地を、勝手に移動した事もあった。

大きな石楠花の木を2本もこいできた事もあった。役人天国である。

大昔から暮らしてきた山を、税金が払えないが為に国に納めざるを得なかった貧しい山国の人達。

悲しいというよりも、腹が立つ。

 

 あと一月で、私は茸山へ入る。嬉しい。

会社勤めが厭なのではない。山が好きなのだ。

今日、仕事場へ登る途中に、大きな白い茸が生えていた。運悪く、カメラがない。

然し、あと一月経てば、自由に茸の写真が撮れる。例の如く、フィルムを買うお金がないが、何とかなるだろう。

 白戸川で、母は、天然のナメコを幾そいも運んだという。それを徹夜で茹でて、塩漬け

にして、大熊峠を越えたと言う。辛かったろうなあ。

今、我が家ではナメコの原木栽培をしている。だから、昔の様に捜し回る必要がない。

そして、背負い出す道は、綺麗に整備する。これが徒となるのだが、幾ら泥棒が入るといっても、

道の整備は欠かせない。道無き道は、御免だ。人間の良心と謂うものは、必ずあると信じている。

だから、杣径の整備をする。この時、私は愛機を連れて行けない。写真を撮る暇がないのだ。

これは悲しい。とても哀しい。動力草刈り機で草を刈り、唐鍬で道を直す。

余り楽な仕事ではないが、それでも、私は、山の中にいる。

 

 茸は、虫眼鏡で見るととても綺麗だ。然し、そんなに拡大すると、何が何だか分らない写真になる。

所謂、中途半端な写真。これを、美事に撮っている人がいる。

日本では多分、この分野での第一人者であろう。

そもそも、私にはそういう人と張り合う気が全く無い。撮影条件が全く違うし、目的も違う。

私のは全くの趣味。だからいい加減な写真で良いのだという訳ではないのだが。

出来るだけ茸の美しさを表現したいと思う。勿論、芸術的にではない。かと言って、図鑑的にでも無い。

どちらも、私には無理な相談だ。では、私の写真とは一体なんだろう。

このままの撮り方では、いい加減なものになってしまう。

ここで白戸での写真を思い出した。「記録」という分野を発見した時だ。

私の写真は記録である。私の行動の記録だ。「全行動」の、では無く、ほんの一部の記録だ。

と言う事は、それなりの形というものが必要になるのだろうか。

目的は、記録。

内容は、私の行動。

文章で言えば「文体」に当たるものは、何だろう。

「ジンイチ風」なのか、「仁一流」なのかは分らないが、

とにかく、私の写真に「仁一臭さ」が必要だと思う。どうすれば良いのだろうか。

 

 取り敢えず、面倒くさい事は置いといて、写真を撮り続ける事にしよう。楽しい事に理屈は要らない。

 Wodurch ist Goethe ber*hmt?  ゲーテハ何ニ依ッテ有名ナノカ?

私は有名にならなくて良い。

 

 さて、ニコンF2フォトミックSである。

シャッターに異常を感じていたのだが9月20日まで点検しなかった。

栃尾又で茸の写真を撮っていて、フィルム交換の時、待てよ、とばかりにシャッターの点検をする。

何と、1/80s.以上の高速側で、シャッター膜が開かない。溜め息が出た。

9月22日。745・・・番にファインダーはSのを着けた。

念の為、シャッターの点検をする。異常無し。チウナゼの小沢の草刈り。茸が全く出ていない

ない。   従って、写真は撮らない。無念。