月別アーカイブ: 2013年7月

北海道遠征・雑感2(交通・宿泊編)

<<道路>>
北海道は直近で4年前から2年連続して仕事で走っていたから
道路事情が良いことは知っていたが、
まだまだ高速道路が建設途中であることや一般道も整備がよく行われていることに
驚いたというか公共事業が行き届いていることに感心した。
ほとんど渋滞というストレスを感じることなく走りまわった。
<<温泉>>
宿の風呂はともかく(ホテルや山小屋とも)日帰り温泉施設も充実している。
価格も内地に比較すると安価で、無料の露天風呂もあった。
ワゴンタイプの車やキャンピングカーで1ケ月以上も山旅をしたり
観光旅行する人たちに会ったがいずれもコンビニや道の駅、温泉施設を
利用して安価な旅を続けているリタイヤ組の人たちの楽しそうな顔・・・
<<キャンプ場・山小屋>>
利尻岳の北麓にあるキャンプ場は一人500円、トイレは水洗。
シャワー(コイン)も完備。
山小屋は素泊まりで2000円、清岳荘は水洗トイレ完備で
ベランダからオホーツク海が見渡せる貸し別荘のような雰囲気。
また、木下小屋は天然温泉の露天風呂が併設されている。
いずれにしても車が横付けされる山小屋で2000円は安い・・・
<<観光>>
ほとんどの観光スポットはパスして移動していたが
道の駅で見た「海の幸」はそれなりに高価で山屋には手が出ない。
それでもフェリーに乗るだけの最終日に一般道を走って立ち寄った
「道の駅」では「幌加内」の蕎麦と旭川付近でトマトとサクランボを買った。
これは味も良く満足。
そして購入したのが「深川そばめし」といって蕎麦の実を炊き込んだごはんの
おにぎり、唐揚げ、玉子焼き、天麩羅が付いたおにぎり弁当が630円。
フェリーの中でのビールのお供になりました。
<<弁当の表紙>>

<<手作りMAP>>
**清岳荘で用意されていた案内とMAP**


**オンネトウ温泉(景福)で用意してあったMAP**

北海道遠征・雑感1(装備編)

朝食・・・・・未明の起床で胃袋が起きていないし、時間も取れないので
       「梅おかゆ」や「パン」が多かった。所謂「シャリ・バテ」を
       起こさないようにある程度のものを食べるべきか、
       それとも行動食を意識して軽いものですませておくべきか、
       長期間の遠征では熟考を要す。
昼食・・・・・ほとんどが「レーズン入りパン」、GASもコッヘルも持たない
       行動なのでそれで十分だった
       (もっともお昼ころには下山していたわけだが・・)
夕食・・・・・下山後に次の目的地に向かう途中で見つけた食品スーパーや
       コンビニで主に調理済のものを購入していたが、
       一日の一番の楽しみでもあったような気がする。
行動食・・・・カロリーメイトやチョコバーなどを用意したが、
       利用する頻度は少なく唯一、最後の従走路で利用したのみ。
飲料水・・・・真水を1Lとスポーツドリンクを2種・500CCづつ持参、
       ポカリスエットとアミノバイタルの粉末を用意して
       毎日、ペットボトルに作り持参した。
       真水の消費は少なくて、スポーツドリンクは8割方消費
       心配された「右足がツル」現象には出会わなかった。
衣類・・・・・下はほとんどがいつものジャージ・トレパン
       その下に筋力補強用タイツは初日と最終日のみ。
       上は長袖のスキンタイプのシャツとTシャツの組み合わせ。
       半袖のTシャツのみにしたのは1回だけ。
       涼しい山歩きだった。
       雨具は1度も出さず、羽毛ジャケットもザックの中に入れたまま。
       フリースのベストとウィンドブレイカーのコンビネーションを
       朝方の歩き始めと休憩時の防寒に利用。
寝具・・・・・30年前購入の羽毛のハーフ・シュラフを使う(マットは安い簡易型)
       想像以上に暖かく、下は下着のみ、上はTシャツで十分。
       (テントでも小屋でも同じほど快適だった)
テント・・・・30年ほど前の「細野テント」カマボコ型(1.4K:2、3名用)
       支柱がグラスファイバーで劣化しないからまだ現役だけれども
       最新の軽量型に比べたら背負って歩くのは考えてしまう。
コンロ・・・・GAS用を持参したが、通常型のボンベでOKだった
コッヘル・・・小型だとレトルトの袋がはみ出してけっこう不便
ヘッドランプ・2セット持参したが歩行で使ったのは1回だけ
GPS・・・・・USB型のレコーダなのだが途中で故障、記録が途絶えた
鈴・・・・・・熊よけ用として付けたが欧州土産のカウベルなので音が低い
       果たして効果があったか否かは?ホイッスル併用
カメラ・・・・パナソニックのコンデジ、途中でPCに画像を移して
       なんとか容量不足を解消、メモリー、バッテリーとも予備が必要。
ストック・・・持参せず、利尻岳の下降でのみ必要性を感じて一本借用。
       他の山では日頃から使っていないので不便さは無かった。
グローブ・・・コメリで買った農作業用を使用、快適。
スパッツ・・・利尻岳と斜里岳(沢登り)で使用したが、格別必要性を感じない。
登山靴・・・・2足用意したが、日頃使っている柔らか目のものを履きとおした。
ソックス・・・豆と靴擦れを心配していたが足群れ防止ソックス2足を交替で使って
       効果充分。
サングラス・・持参したが、使わず(けっこう紫外線強かったけど)
帽子・・・・・持参したが使わずにいつもの手ぬぐいを使った汗止め。
        

旭岳から黒岳への縦走

7月20日
昨夜はどうも飲みすぎた(500缶×3)+ウィスキー+日本酒少々・・・
唯一、今の時期に予約できた「旭岳」付近の宿である「湧駒荘」は
立派なリゾートホテルであったが「ドミトリー」と呼ばれる相部屋である。
和室で20畳はありそうな大部屋(昔は宴会場か?)であり
そこに運良く4人が部屋をシェアした。(シーズン中は30人は泊める?)
素泊まり3000円の格安価格である利点を生かして、
ある程度のアルコールと食料を持ち込んだのであるが、
同室した2人も参加して大宴会となって少々飲みすぎた・・・・

6:00の始発ケーブルで山頂駅に向かう予定の我々は
予定よりやや遅い4:00にはホテルを出てケーブル駅の駐車場に向かった。
すでに昨夜からの車中泊組も含めて20台以上の車が停まっていた。
湯を沸かして「梅おかゆ」をすすり込む。
早めに並ぶことにして5:00には先頭の好位置に着いた。
やがて続々と後続の登山者が並び始めて、圧巻は秋田から来た団体バスの大勢の人達、
統制もとれておらず、次々にまだ閉じられたドアに殺到する。
まあ関西方面から来たと思われるおばちゃん達もすごかったけど・・・
6:00少し前にドアが開いて我等は悠然と先頭を歩いて最初のケーブルに乗る。
ケーブル乗車時間はわずか6分ほどで山頂駅に到着して、すぐに歩き始める。
駅舎前の池にはまだ残雪があり、その池には薄氷が張っていたのには驚く。
気温は10度を下回っていたから未明の放射冷却は零度以下だったのか・・・
眼前には旭岳の大きな姿が迫って見えている。

姿見の池はまだ残雪の下で、半分ほどが顔を出しているのみ。
今回の山旅で一番重いザックはスタート時はさほど気にならなかったが、
急登になってくるとさすがに足が重くなってきた。

昨夜の飲みすぎがボディ・ブローのように効いてきたのだろうか。
相方はすでに視界から消えたし、後続の人達には追い抜かれたが
さほどの焦りはなかった。
あくまでもマイペースで短い歩幅で歩く分には心肺機能にはプレッシャーはない。
水分補給は1度だけ行ってようやく山頂に到着。

360度の展望を楽しんでから黒岳に向かって縦走を開始する。
遥か遠くにそれらしき山姿を認められたがいずれにしてもたおやかな山並みが続いている。
小さな噴石が足元から崩れそうな銃走路の出だしを下り始めるとすぐに残雪が現れた、
皆が歩いたトレースは下降には向いておらず、わざと外れた斜面を踵でキックしながら
下り終えた。(アイゼンは持参していたがあえて履かない)
いよいよ3時間ほどの縦走が始まったのだがが、
乾いた山道は歩きやすいし気温も低く汗をかかない分、
疲労感を感じないのか水分補給は少ない。
但しザックの重さが肩を圧迫し始めたのが気になったのでベルト調整を何度も行った。
誰かが言っていたが、確かに旭岳側は高山植物の種類は少ない。
途中で白雲岳への分岐にてザックを降ろしてチョコ・バーを口にした。
今回の山行で初めての行動食、やはり相当バテているのかな・・・

結局、北鎖岳には登らずに相方を分岐で待つ。(携帯で連絡が付いたのが不思議)
ここでもトマトを1ケ食べた。
もう黒岳の姿は間近に迫ってきているので歩みは順調だ。
幾つかのガレ場を越えて平坦な縦走路を終えるころに黒岳直下の「石室小屋」が
現れる。ここから最後の急登で黒岳山頂に至る。






相方は上着を羽織って待っていてくれた。
さて、今回初のコンロを使った食事タイム、ついでに豆をミルして
食後の珈琲タイムも楽しんだ。

層雲峡からゴンドラとリフトを乗り継いでから1時間ほどの登高で登れるらしい
この黒岳は登山者の他に一般の観光客も軽装で来ていて姦しい。
だいぶ早い時間だが下降を開始する。
正午を過ぎたばかりなのでまだまだ山頂を目指す登山者と観光客が多い。
短パン・Tシャツのフランス人グループ、スニーカーにカメラだけ持った韓国人
天候さえ良ければ問題ないのだが、いかがなものか・・・
古い友人と待ち合わせしているのが15時半なのに13時には層雲峡に着いてしまい
ずいぶんとゆったりとした時間をすごした。
これにて1週間にわたって続いた北海道ツアーは終わった。
今宵は相方のO嶋氏、迎えに来てくれたヒロシ氏と3人で「天人峡温泉」で
打ち上げをして翌朝には其々が別の予定があって別れることになっている。

雌阿寒岳・阿寒富士

7月19日
景福荘の玄関先にて朝食、身支度をした後に2台の車に乗って
阿寒富士の下山口まで行き小生の車を置いてから再び駐車場に戻って出発。
恒例の4時には歩き始める。
針葉樹が密集している登山口から歩き始めてすぐに北キツネが前を横切って
しきりにこちらを気にしている様子、何か餌でも期待しているのか・・・・
森林帯を抜けるとすぐにハイマツが広がって森林限界を迎える。

右側はゴウゴウと音を立てる噴煙が立ち上る活火山、常に漂う硫黄の香り・・
このデジャブは東北の安達太郎山で見た風景や
草津白根への途中で見たものに酷似する。

大きな岩の間を歩いて、草木も生えないという火山独特の山頂に着いた。
遠くに「雄阿寒岳」が見えたり、「阿寒湖」が見えたりしているが
やはりこの風景も東北の「浄土平」付近によく似ている。
山頂に設置されているコンクリート製の方向盤らしき残骸は恐らく
火山性ガスで劣化が激しくて崩壊したのだろうか、無残な形であった。

ここから見える「阿寒富士」はたしかにコニーデ型の形で「富士」の
名前を名乗るだけあって美しい。
歩きつらい細かい火山礫の下降を終える頃に「コマクサ」の群落が現れる。
朝露がコマクサ独特の細かな葉に付着して朝日にキラキラと輝いている。

再び火山礫が蓄積した歩き辛い登山道をジグザグに登り始める。
その頃には太陽が背中から強い光を浴びせ始めて暑さを感じ始めた
山頂から見える「雌阿寒岳」もなかなか姿である。

富士山の砂走りコースを思わせるような下りはザクザクと滑る様に駆け下りて
やがて長い森林帯の歩行が始まる。
露出した針葉樹(シラビソ)の根が登山道に網目のように横たわり
うわさどおりのゴゼンタチバナが群生している。

途中で外国人のカップルとクロス、登山口付近では中学校の生徒の団体が
これから学校登山に向かうのに会った。

オンネトウ湖はまだ穏やかな時間帯を迎えており茶屋を経営する小屋のストーブに
火が入ったばかりなのか薪の燃える香りが漂い、薄い煙が小屋から立ち上っていた。
小生の車一台しかいない大駐車場でザックを下ろし、再び「オンネトウ温泉」へ
女将の好意で許された下山後の入浴で汗を流した。

斜里岳

7月18日
緯度が高い北海道は日中の時間が長いのは承知していたが、
朝の4時にはすでにヘッドランプが不要なほど
明るくなっていて小屋の真横から登山道を歩き始めた。
森林帯を歩くのはわずかですぐに昔の広い林道に出てしばらく歩くと
本格的な細い登山道が始まる。
そしてすぐに沢の渡渉があるのがこの斜里岳の特徴だろう。
以前に登った季節と違うことなどを考慮してもずいぶんと水量が多く感じた。
途中で数えることを諦めた右岸、左岸への渡渉の繰り返しにはいささか驚く。
適宜に設置された石の上にも水がヒタヒタになっている場所も多いし、
上手く飛ばないとスリップしてしまう恐れもある。
覚えているだけでヘツリが2ケ所、滝の横を巻く場所は何箇所も出てくる。
30年前の記憶では残雪が多くて水量も少ないために快適に歩いたことしか頭になく
真夏のもっと遅い時間のスタートならば最初から地下足袋・ワラジで
沢の真ん中をジャブジャブ歩いたり滝を直登するのも楽しいだろうと思った。
途中で新道との分岐を過ぎる頃からは滝が連続して豪快な沢登りの感がある。
<<羽衣の滝>>

源頭付近まで沢の水はそれなりに流れていて左手の尾根に突き上げる頃に
ようやく沢から離れることになった。
<<この滝は直登した記憶があった>>

期待していたアイヌネギの群落わずか1ケ所のみ見つけたが
採取には遅く、種を採るには早すぎた。
<<アイヌネギのネギ坊主>>

自分が育てているもの比べてあまりにも見事な花をパチリ。
あの頃はザック一杯に採って晩酌の肴にしたものだったが・・・・
潅木帯をぬけて胸突き八丁のガレ場を登りきるとそこからは
馬の背を通って山頂へむかう。
山頂からはオホーツクの海が良く見えて昨日登った「羅臼岳」の姿も確認できた。


やがて車中泊で我等よりも30分ほど早く出発した単独行の男性が到着し
(彼は新道を登ったらしい)、三井口から登ってきた単独の青年は
盛んに歓声を上げて自らを鼓舞していた。
どうやら記録的な短時間歩行をやったらしい。
さて、帰りは新道を下ることにして山頂をあとにした。
途中で山荘で一緒だった団体のグループとクロス、その他にも何組かの人達とクロスしたが新道に入ってからは数人に会ったのみ。
新道は尾根を2つほど越えてから元の沢に戻る稜線の道で沢に比べたら危険度はないが
登りに使うにはもったいないし、時間もかかりそうだ。

太陽が高くなると気温も上昇するし、尾根道はやはり暑い。
旧道との分岐を過ぎた頃に若い山ガールとクロスしたが、遅い出発・沢の渡渉など
余計な心配をしてしまった。
<<新道の熊見峠から斜里岳方面を臨む>>

小屋に着くと管理人の女性が出迎えてくれて、今年の水量の話をしたら
やはり雪が多かった分、水量が多く、毎週末に沢の渡渉で捻挫、骨折、打撲の事案が多いとの事。うなずける・・・・
さてこれから阿寒温泉まで走るにはだいぶ時間がかかるので
途中の清里町経営の日帰り温泉施設で着替えることにして長い未舗装の道路を
ひたすら下って砂糖大根や馬鈴薯が青々と育っている耕作地をぬけて
300円代という安価な入浴料で汗をながすことができた。
ここから摩周湖と弟子屈湖の間をぬけて雌阿寒岳の麓である
オンネトウ温泉に向かう。

羅臼岳

7月16・17日
宗谷岬を回って知床半島までのドライブは長かった。
知床半島に近づくと湖沼が多くて海と湖沼の間に作られた道路を車で走っていると
なにやら不思議な気持ちになってこのまま海に吸い込まれそうな不安感さえ覚える。
しかし羅臼に近づくと世界遺産に登録されたせいか観光客が多いし車の数もすごい。
立派な真新しい道路をぐいぐいと登っていって目的地に着いた。
なんとか木下小屋に宿を取れたことはラッキーだったかもしれない。
小屋は「地のはて」と銘打った岩尾別温泉・「ホテル地の涯」の裏手にあって
車が数台しか停められない。
売店も何もない小屋であるが、車から調理道具や食料を運べるので問題はないのである。
我等の他にも何組かのグループが宿泊していたが、決まったように大きなテーブル・コンロで大きなナベをかけて調理していた。(これは参考にしないと・・・)
小屋はログハウス風で部屋は1階に2部屋、2階にも2部屋ほどあるが
我等は早く着いたおかげか1階の1部屋を2人で独占出来た
小屋の裏手に主人が作ったという露天風呂に入ったのちにさっそくビールで乾杯、
夜は網走のス-パーで調達した出来合いの惣菜を楽しんだ。

さて17日も4:00には出発したのだが、ここが一番ヒグマの出会う可能性が多いと
いうことでホイッスルとカウベルを用意した。

乾いた登山道を快適に歩いて平坦な場所にでたら「極楽平」といって
噂にきく、ヒグマの獣道と登山道がクロスする場所らしい。
やがて想像以上の雪渓が現れたが、アイゼンは持参していなかった。

朝のやや早い時間でどうかなと思ったがまずまずの安定感をもって通過、
「エゾコザクラ」の群落が疲れた体に癒しを与えてくれる。

再び小さな雪渓を通過するといよいよメイン・イベントのコースが始まる。
「羅臼平」というヒグマの生息地に恐る恐る近づいたらなんと
若い外国人のグループがテントを張っていて、食事の準備をしていた。
「オハヨウゴザイマス」と流暢な日本語で挨拶されたのに驚いたが
それよりもヒグマの生息地のど真ん中で露営をする勇気というか無茶というか
彼らの考えを聞いてみたかった気がする。

さて、ここからが正念場の急登、それも岩場が混在する領域になる。
それでも岩場のそこここに見事なお花畑が点在して目を楽しませてくれるのだ。


途中にあった「岩清水」はまさに岩から染み出した水が水滴になって幾筋も
流れ落ちてその下にコップが置いてある、ありがたく一杯ごちそうになって通過。






大きな岩の横をすり抜けたり直登したりしたが、天気が良いこともあって
岩が乾いていて安心して登り終えた。
山頂の反対側は恐ろしいほどの切り立った岸壁が切り落ちて近寄るのも怖い、
ガスが巻いていて残念ながら展望には恵まれなかったが、快適な岩場歩きと
見事な高山植物との出会いに満足した。

下山時には遠くの硫黄山なども姿を現し、気温も上がってきた。
相変わらず我等が下山する頃に登り始めてくるグループが多く、けっこうバテている。
気温が高いときの歩行はやはり大変だ。

予定どおり午前中には下山して「ホテル・地の涯」の下にある露天風呂(町の経営で無料)
に入って汗をながし、着替えてからウトロの町に向かう。
まずは食事ということで久しぶりの外食、少々高かったが「天麩羅蕎麦」が旨かった。
途中でコインランドリーを見つけたので今まで溜め込んだ衣類を洗うことにして
待ち時間の間に「オシンコシンの滝」まで観光に出かける。

次の「斜里岳」の登山口である斜里町までは50Kほどの近場、
30年前の記憶はすっかりと消えうせていた、当時の清岳荘の思い出すら欠落している。
斜里町から清里町に入ると北海道独特の道路(碁盤の目状)が規則正しく配置され
番号で命名されているのに出会う。
観光協会から指示された登山口に至る道路はひたすらに真直ぐで斜里岳に向かう。
舗装道路が終わると未舗装道路が7kも続いて車は土埃で真っ白に・・・
現れた清岳荘は想像を絶するほどの立派な宿泊施設で登山用の宿泊だけでなく
青少年の合宿用にも使われているような施設の造り方であった。
車から寝具と食料を運び込んで早めに夕食の準備を始める。
宴会の途中で団体が一組と2人連れが2組、単独が1人と大きな部屋2つに
余裕のスペースで寝場所が作られた。

利尻岳

7月15日
昨夜のテント・サイトでは夜遅くまで(多分22時)外国人グループが騒いでいて
眠れなかった。
いずれにしても若いときからテントでは熟睡できない、何度も目が覚めてまた浅い眠りに入るのが常である。
今日は今回の山行で最大の標高差を登るわけで、
4時出発に合わせて3時起床を予定していたが
隣に張ったO嶋氏のテントから彼の目覚ましアラーム音が2:30頃に鳴り出して目が覚めた。
それでも、なんとか3時までは我慢してシュラフから出ない。
朝食は「梅おかゆ」、荷物は最低限に抑えつつも水は多めに用意した。

テント・サイトの横から登山口が始まって最初は石畳、やがて針葉樹の森林帯が続く。
最後の水場と銘打った甘露泉を過ぎた頃から緩い登りが始まり、
先頭を歩いていて、かなり離れた相方のヘッドライトが時折見える夜明け直前の一時、
立派な合目標柱が現れ始める。やがてコニーデ型の利尻富士に相応しい急登が始まって
ぐいぐいと高度を上げてゆく。
胸突き八丁の手前で降りてくる人が居たということは小屋に泊まっていた人なのか・・・
8合目の見晴らしの良い場所に着くと足元に避難小屋の屋根が見え
眼前に利尻岳の鋭角な姿が飛び込んできた。カメラを出して思わずシャッターを
押し続ける。
<<8合目から見た山頂>>

小屋があるコルまで一度下降してから核心部の9合目から山頂に向かう。
山頂手前の急坂では登山道が崩壊し始めて細かい火山礫が足元から崩れてゆく、
登りはともかくとして下降はかなり緊張を伴う箇所だ。
一足先に着いていたO嶋氏が外国人のカップルと談笑している。
拙い英語で挨拶したら、英語は話せるのかとの質問に「very little」と答えると
彼らも苦笑して「me to」となった、どうやらイタリアから来た人たちらしい。
彼らは避難小屋に泊まっていたらしく軽装で登ってきている。
どうも外国人は短パンTシャツで登るのが好きらしい、軽装についてもだが・・・
一足先に下山をしていった彼らを見送ってから写真を撮ったり行動食を口にしたり
ガスが晴れて港や海が見渡せる展望を楽しんでから山頂をあとにした。
<<祠に奉納された船のスクリューが印象的>>

ぞくぞくと後発のグループが登ってくるのが足場の悪い崩壊地域から見受けられ
速攻で危険箇所を通過する為に相方から借りたストックを頼りに駆け下りた。
体が大きくてバランスが悪いのか、苦労している例のイタリア人をパスして
再び8合目に着いたときは陽が高くなって気温も上昇してきた。
振り返って利尻岳の姿を脳裏に焼き付けて本格的な下りに取り掛かる。
<<多彩な北海道の花たち>>





早発ちの成果か、予定の時間をだいぶ上回って、十分に一便早いフェリーに
間に合いそうな感じだったが、心配したタクシーが捕まらない。
観光シーズンでもあり、数に限りあるタクシーはほとんどが貸切で観光ツアーに
出かけて帰りの時間は夕方になるというのだ。
我等と前後して登り始めて、山頂でも一緒した2人組の若者が降りてきたので
どんな方法で港に帰るのかと聞いたら、なんとレンタカーで移動していて空港まで帰るのだという、なんとか港まで乗せてほしいと厚かましくお願いすると快諾してくれた。
おかげでタクシーを4時間も待たず、重い露営道具を持って1時間歩くこともなく、
11時50分のフェリーに乗れた。感謝!!
山口さん、幸路さんありがとうございました。
車中でお約束した「魚沼の山」に来るような機会があればご連絡ください。

フェリー内ではビールを飲むのを我慢して遅い昼食を食べる。
船窓から見た利尻岳はまた霧のなかに頭をすっぽりと隠していて
8時前に山頂から見た光景を実にラッキーだと思った。
稚内ではビジネスホテルを予約してあって、スーパーで思い思いの食料を買い込み
ビールで乾杯して早めの就寝となる。
糊の効いたシーツが懐かしい、一気に寝不足を解消か、しかし明日も3時起きで
4時には知床半島までひた走ることになっている。

小樽から利尻島まで

フェリーで旅をしていると時間の過ごし方が大変だと云う人が多いが
車で移動する有利さを利用してPCを積んだり本を何冊も用意するわけで、
もちろん保冷BOXにビールや肴も沢山用意するのが何度か新潟・小樽間を利用した
経験が役にたって今回も後部座席まで荷物が一杯である。
(もちろん出航前に客室に必要なものを運び込んでおかないと車には戻れない)

3時すぎから船倉から金属質の物音がし出して人々が起き始めた。
小樽の天候は薄曇、3台の車にそれぞれ乗った我等は目的に向かってGO。
気ままな一人旅をする友はまずは網走方面に向かい、
利尻島に渡る我等は稚内までひた走ることになる。
小樽港から右折する車が多いのは朝市で朝食を摂る観光客なのか、
我々は高速の入り口に向かってひた走った。
利尻島へは最終便に乗る予定でスケジュールしていたが
高速道路の事情や計画した相方のカーナビよりも小生の新しく購入した
道路データが適切なコースを案内してくれてかなり早く稚内に着くことになった。
フェリー乗り場に隣接した駐車場に車を停めて再度、利尻島に持ち込む荷物の
整理を行う時間がたっぷりとあって常に前倒しの行動を意識する。

フェリーの時間も変更になっていてやや早めのスケジュール推移で
1時間40分儀には利尻島の鴛泊港に到着する。
ほぼ先頭に並んでいた我等は数台しかないタクシーに乗り込んで
利尻北麓野営場に向かう。
今夜はキャビンの予約が取れなかったのでテント泊まりになるのだが
すでに野営場は夕食タイムが始まっていて、古いテントの設営に手間取った
小生は夕闇が迫り来るなかでビールとワインを少々飲み、
すぐに寝る準備をしたのだが炊事場で談笑する人たちの雑音が気になって
すぐには眠りに落ちる事はなかった。

旅立ち・いざ北の国へ

驟雨が梅雨明けしていない魚沼の里に降り続いている。
山の道具と食料、「地蔵清水」18L、衣類、PC関連機器などを満載した車は
待ち合わせをした堀之内で合流して一路「新潟港フェリー乗り場」へ。
新潟市内の24時間営業のスーパーにて船中で食べる食料などを調達して
チェックインを終えると乗船待ちの車列はすでに4列ほど並んでいる。
県外車も多くバイクの数もそれなりに多い、さすがにシーズン・インの
北海道へ旅立つ人たちが居るということだが、観察していると中高年のライダーや
中高年の夫婦らしき車が目立つのはリタイヤ層が移動しているのか・・・

ツーリストBという席を予約してあったが、船のチェックインでは
2段ベットの席をグループ単位で割り振ってくれた。
直前に往路のみ同行することになった昔の知り合いも同じブースに・・
乗船と同時にオープンされる大浴場は雨に濡れたライダー達が押しかけていた。
早お昼をビールなど飲みながら歓談しつつ、ゆったりと過ごした後
船首にあるサロンで持参した本などを読んで夕方まで寛ぐ。

夕食はスーパーで買ったものや自宅から持参した肴をアテに
ビール、日本酒、ウイスキーなどで大宴会。
翌朝は4:30には小樽港着岸で、そのまま稚内まで走るわけで
宴会は早めに切上げて熟睡。

北海道遠征報告・総論

無事に行程を終えて魚沼に帰ってきました。
翌日は長野県・飯田市まで日帰りのスポットJOBがあって出かけましたので
報告が本日になりましたが、まずは無事に帰ってきたということで・・・

北海道の上半分を走破した感のあるツアーでしたが
交通事故もなく(だいぶスピード違反らしい場面もありましたが)
登山中のヒグマとの遭遇もなく、新聞沙汰になるような無様な事態にならずに
利尻、羅臼、斜里、雌阿寒、大雪縦走を終えました。
相方はまだ今週一杯、残りの百名山を登っていますが、
小生は諸般の事情で1Wで切上げたのが現実です。
天候は最高、やや寒いものの暑くてバテることもなく歩き通したし
最近の持病である「足がツル」事象にも遭遇しませんでした。
宿泊場所、食事、温泉、出会い、すべてが満足できるものであり
多少のアクシデント(恥ずかしく書けませんが)があったものの
90%の満足度を得たツアーでした。
詳細は次回からテーマ毎、山単位にご報告できると思います。
まずは魚沼に帰ってきて現実の生活に戻るべくリハビリを開始しました。
食事が充実していたので体重は現状維持でした。(残念)