月別アーカイブ: 2014年7月

暑かった・・・・

土曜の朝は恒例のS氏と「トレーニング」大力山。
先週の「大力山遊歩道祭り」には2人とも参加できなかったので
お互いに「砕石」を5Kづつ背負って登る。
朝から湿度も気温も今まで以上に高くて汗が噴き出るが
世間話をしながら気をまぎらわせてもくもくと歩いた。

補修対象の急階段はそれなりにサマになってきて
すこしづつだけども積み重ねれば成果があがることに
充実感がわきあがる。
ザックから砂利袋を下すと体が一気に軽くなって
休憩舎へ急いだ。

シャツの汗を絞ったり、着替えたりしてクールダウンを行う。
これで熱中症にでもなったらニュース沙汰になるわけで
「中高年の無謀な登山」などとの批判は不本意である。
スポーツドリンクを飲んだり、恒例の珈琲で水分補給を行っていると
縦走路から若いトレランの青年が全身汗まみれでやってきた。
初めてのコースらしく、しきりに整備の良さをほめていた。
森林組合の刈り払いや我らの整備でこの山のファンが増えることは
とてもうれしいことである。

山ノートにも書いてあったが山麓に置いた砕石を運んで頂いた
長岡から登られた方のコメントもうれしい、
先日の「遊歩道祭り」の時にお願いしたら
快く運んでくれたY一さんありがとうございます。
雪が降る前には急階段が歩きやすくなっていることを願っています。

梅雨明けはまだですか?・・・

ボッカ作業の筋肉痛がくると思ったが
さほどのことはなく休養日を雑用で過ごした。
関東甲信は「梅雨明け」したもようという発表はあったが
北陸と越はまだ発表がない。

先日の平ケ岳ボッカの折りに「台倉清水」で出会った
沢登りの連中は「恋ノ岐川」の支流「オホコ沢」をつめたのだろう。
2万5千の地図でみると小生が登山道を探している声を聞いたあたりが
沢の源頭部付近で、最後のヤブ漕ぎは大変であったろうと思う。
下半身用のハーネスを付けた若者たちの疲れた様子と
それでも困難な天候下で越後の沢を登り終えた喜びが
印象的で自分の若い頃を思い出した一瞬であった。

今回はGPSレコーダを持参したのに
SWをオンするのを忘れて最初の休憩の時にあわてて入れた。
歩いた軌跡が中途半端なのはそのせいである。
持参した私物は飲み物(スポーツドリンク:1L、麦茶:0.5L、真水:0.5L)
豆大福(5ケ)、お握り1ケ、お稲荷(3ケ)、非常食若干
雨具、ツエルト、コンデジくらいなもので火器やコッヘルは省略した。
着替えてもどうせ汗まみれになるから衣類も省略、
だから荷揚げの荷物を降ろしたら空身に近い軽さだ。
トレランの人達はもっと軽くして(食料はほとんど持たないと聞いた)
山を駆け巡るのだからすごいものだ。
途中で会った若者2人連れはそれに近いものがあったが
清四郎小屋の風呂で再会して話したら「このコースをちょっと甘く見てました」が
彼らの本音らしく、とても素直な気持ちだと思った。
ダイクラ尾根をトレランシューズでやるのは少々手ごわいのでは・・・・

近々「グレート・トラバース」の田中氏がこの「平ケ岳」と「越後駒」を連続登攀するのだろうけれども
すごい記録を出すのだろうな・・・・
そろそろ北アの山か東北の山への思いがふくらんできた。

最近入手したイナセな手拭

平ケ岳荷揚げボッカ

天候不順で2日伸ばしたスケジュールがなんとか巧くいって
21日の未明、ボッカ屈強メンバーであるH川氏の車に同乗し
小生を含めて5名の面々は一路、2台の車で鷹ノ巣集落へ・・・・
途中で朝はほのぼのと明けて億只見湖に霧がたなびいていた。
H川氏とはもっぱらテレマークやクロカンの話でもりあがり
1時間半のドライブもなんとか退屈せずに過ごせた。

清四郎小屋のご主人が出迎えてくれて、さっそく荷揚げ用の
荷物の分配をしたが、今までに比べたらずいぶんと少ない量だ。
今回は5名もいるし、小生の担当は食料が入ったダンボール1個のみ
前日の大力山・砕石運びよりも軽い感じがしたのだが
まあ、長い距離を歩くわけで軽いにこしたことはない。

中ノ股林道の悪路に揺られながら狭い峡谷を奥へと進むと
平ケ岳に連なる峰々が迫ってくる。
終点にはすでに銀山平の宿が運営するマイクロバスが数台停まっていて
知り合いの顔も見られた。
一般の登山客はすでに出発していた後なのでマイペースで歩けられるのが好都合。

今回は背負子をやめてやや大きな45Lのザックにしたが
十分の大きさで、ウェストベルトでザックを腰に固定したら
荷物の重さはさほど感じなかったのだが
最初から始まる急登にすぐに汗が噴き出してくる。
Y画伯とH川氏は重い荷物を背負ったのにかなりのスピードで
歩いていてどんどん差が開いてくるが、小生はマイペース順守。
最初の30分で水分補給をした後は1時間ほど同じスピードで
歩き続けて、結局は2時間半で分岐点に到着した。

荷物を置いて先行の3人で「玉子石」まで撮影散歩、
丁度ガスも晴れて、下の池塘も見えていた。
例年になくタテヤマリンドウの花が木道の脇に咲いていて
心をなごませてくれる。
あとは「姫ノ池」に指定された荷物をデポして「鷹ノ巣」ルートの
中ほどにある「台倉清水」まで残りの荷物を運ぶだけである、
途中の雪渓を経由して草原を山頂部を右に見ながら「姫池」へと水平移動。
「姫池」で大休止となって後続メンバーを待つ間に行動食を腹に入れる。

いよいよ台倉清水までの下りが始まる。
苗場と同じように平らな湿地帯から一歩踏み出すと
一気に森林帯へと尾根道が切れ込んでいる。
笹原を下って針葉樹の鬱蒼とした森に入ると
木道が現れて根曲がり竹の伸びたなかを歩き始めた。
単調な長い水平歩行に飽きてきたので
食べられそうなタケノコを折りながら進んで
ようやく台倉清水に到着。
そこで荷物を下して全員のものをブルーシートで覆って
作業は終了となる。
森林帯からぬけると目の前には鷹ノ巣集落の一部が見え始め
ダイクラ尾根の急な姿が見え始めてまたウンザリするも
なんとしても降りなければ帰れないわけで
気温が上昇し始めた午後の急斜面をヨロヨロと歩き始めた。
登山口近くの渓谷に辿りついた先行メンバーはそれぞれ
顔を洗ったり、水分補給をしたりで一息つく。
長い8時間の行程を終えた我らは清四郎小屋で風呂を頂き
名物の手打ちそばをごちそうになった後に下界に向かって
車を走らせた。

雨の日はピッケル考

ようやく「梅雨」にふさわしい雨の日が続いている。
立葵の花がだいぶ上のほうまで開いてきたからもうすぐ「梅雨明け」?
明日予定していた「平ケ岳」荷揚げボッカは月曜日に延期、
この1週間ほど雑用でほとんど体を動かしていないのが心配であるが
スピードよりも重い荷物でどれだけ歩けるかが重要なわけで
せいぜい溜めに溜めた腰回りのぜい肉を落としてくるとしよう。

さて、前に「門田」のピッケルを贈与された話を書いたので
少しばかり日本のピッケルについて書いてみよう。
生憎と札幌の「門田」は業務拡張をそそのかされて会社組織にした後、
そこを追い出された悲しい歴史を持つブランドで、
その後復活したが3代続いたのち後継者がなくて廃業。
仙台にあった「山内」も数奇な経験を経てピッケル製造を続けたが
後継者がなく、残念にもその神神しい歴史は途絶えた。
ただ後に述べる「二村氏」は生前の「門田」「山内」と会っている
2つのブランドが消えたが、日本の野鍛冶はまだ現役であった

驚いたことに豊田市に「二村善市」氏がまだ現役でピッケルを作っておられる。
かの有名な「長谷川恒男」が特注で作ってもらったピッケル(アイスアックス?)
で一躍有名になった「鍛冶屋」を標榜するこだわりの職人である。
オールドタイプは写真で見てみると「山内」と同様に
いずれもピックが細く、ブレードからの曲線が実に美しい。
いかにも堅い雪に突き刺す鋭いピックの形が特徴的である。
かたや長谷川氏に作ったアイスアップスはシャフトが短く
ブレード側が氷を砕くために厚くハンマー状
ピックは尖っておらず刻みががあっていかにも氷壁に食い込みやすい形に見られる、
彼はこれをダブルアックスでグランドジョラスの北壁を舞ったのだろうか。

日本の山の雪面(厳冬期の氷壁でなく)であれば細いピックで十分に役に立ち
滑落時の制動にも有効であろうけれども、ヨーロッパのピッケルは
4000m級の氷雪を意識した厚いブレードと刻みが入ったピックが
スタンダードなものが多い。
ただ、最近は日本でも氷壁専用のアイスバイルやアイスアックスは
ピックの角度やブレードが「アイスクライム」専用に出来ており
シャフトも金属製で一体型なものが多く実用性は有効であろうが
美しいフォルムとはほど遠い。

旨いシングルモルトでも飲みながら
暖炉の前でピッケルを磨きつつ遠い昔を思い出すならば
やはり飴色になった「タモ」のシャフトと
ニッケル・クロム・モリブデンの鈍いヘッドが似合う。

2日連続の石運び

土曜日は恒例のトレーニングを兼ねたS氏との大力山だが
2日前に蓄積しておいた石を運ぶ事に・・・
蒸し暑いなか2人ともフーフー云いながら重い石を運びあげた。
休憩舎に到着直前に先行していた単独の女性とクロス、
珈琲を飲んでいる途中にまた単独の女性が登ってきた。

まあまあの天気なのでもう少し登山者が多いかなと思ったが
結局は2名の女性と会っただけで、
「いい仕事をしたね」とお互いを励ましあって下山する。

さて、飲み会での話の中で「明日もやりますか」とS氏、
「いいよ」と小生、それならばと翌日の6時に石を拾いに
佐梨川まででかけ5個ほど拾ってザックに入れる。
S氏は残っていた袋の石を全部ザックに入れて歩きだす。
すでに2台の車が停まっていたから「クモの巣」払いの心配なしだが
ザックの重さが気温の高さに加わって昨日以上の疲労感。

階段で石を投げだすとなんと楽なことか、
一気に先行していた2グループに追いついて抜き去った。
休憩舎で汗に濡れたシャツを着替え、冷たい水を飲み
恒例の珈琲を頂く頃にようやく平常の体に戻った。

下山途中の秋葉神社にて干溝森林組合の「草刈り部隊」とすれ違う
苦労をねぎらって自分たちの仕事が一段落した喜びを味わった。
あとは砕石をつめて石の座りを整えたら工事完成か・・・


名器を入手

画家であり登山家でもあるS画伯からついに
「札幌・門田」のピッケルを譲渡された。
以前にさるパーティで会食をした折に魚沼における
先輩登山家を交えて「登山用具」の話になった時に
木製シャフトのピッケルの話になったのが始まりで
S画伯も知人から譲渡された門田の名品ピッケルを持っていて
道具を大切にする人に託したいとの話になったわけだ。

ブレードのカバーを外して驚いたのは
日本刀の輝きに似たその磨き込まれた美しさである。
自分の持っているシャルレのピッケルとは材質が異なるととはいえ
異様に光り輝くヘッド部分である。
もちろんピックも鋭くて劣化はしていない。
その大ぶりな全体像には屈強な野武士が振り回す太刀だ。

さっそくシャフトはクルミ油のしみ込んだ布で磨きあげ、
やや錆の浮いていたピックをサンドペーパーで落とした。
とりあえず玄関に飾り、訪問客を驚かした後は
雪山で使ってみよう・・・・

ピッケルに関する思いはいずれ書くことにして
天から舞い降りた幸運に酔いしれた一夜であった。

左はシャルレ、右が門田

光り輝くヘッド部分


札幌・門田の銘が燦然と輝く

雨上がりの作業登山

残っていた石を運び上げる予定で何時もより早めに出発、
今日は家人も久しぶりに大力山に登りたいとのことで同行する。
背負子にザックと麻袋を括りつけて登るのだが
残っていた石を全部入れたのでかなり重かったが背負子の
上に重心が移っていたからバランスがザックと違い微妙で
よろよろと歩くことになった

下の舟窪付近で背後から人が迫る気配を感じたら
なんと先日の石運びをご協力頂いたO嶋さんであった。
彼も残っていた石を運ぶためにわざわざおいで頂き
小生の車を見て急いで登ってきたとのこと。
しばし会話をしつつ急階段まで登って、それぞれが持参した石を
階段に敷いて今日の作業はとりあえず終了。

休憩舎で山談義を交わしながら珈琲を楽しんでから
さわやかな風が吹き始めたなかを下山した。
これからは一袋ぶんほど川から石を運んでおいて
少しづつ敷いてゆくことにしよう。
会話のなかで知ったのだが、O嶋さんは一回で20K超の石を運びあげてくれて
荷上げボッカの苦労を味わっていただいたようです。
今年の厳冬期、「どっぱら清水」の「寒九の水汲み」で20Lのポリタンを
担いだ時より重かったらしいから、石は重いのである・・・
さて、梅雨明けの山が恋しいと2人の談笑であった。