月別アーカイブ: 2014年9月

火打山から焼山を超えて②

予定ではご来光を山頂で見るために3時に起きて様子をみることになっていたので
3人とも3時にはテントの中でゴソゴソ動き出していた。
結局、山頂付近も空もガスがかかって、もう少し明るくなるまで待機する間に
2人は湯を沸かしてカップ麺を食べて、
小生は食欲があまりないのでレーズンパンを2個ほど食べただけですます。
さあ、明るくなったので荷物を纏めてテントから這い出して
夜露と内張りに溜った結露をバタバタと払いながら天幕を撤収し
6:00には「焼山」山頂に向かって歩き始めた。

かなり急斜面です

朝日に染まる山頂方面

幻想的な火打、影火打、妙高山

遠くには妙高山が・・・

最初から40度はあろうかと思われる直線的な急登に取り付くが
30分ほどで急斜面を登り切れば朝日に輝く山頂に続く岩場が見えてきた。
写真撮影に没頭する2人を残して緩慢な歩みで山頂に到着。

2040mの山頂


槍の穂先も見えた

後立山連峰も見えました

不思議と風はなく近くの山々のガスが晴れてゆく様を見ながら小生もシャッターを切る。
頚城の町が見えたので携帯の電源を入れると辛うじてアンテナが立った。
自宅に電話すると「御嶽山」爆発のニュースを聞かされて驚く。
漸く山頂に現われた2人に事情を説明して、
ここ「焼山」も立派な活火山であることを認識したうえで幾らかでもリスクを回避するために
小休止しただけで下降にとりかかる。(日本列島の連続噴火?)
火口の最南部に付けられた岩場のクサリ場を通過してようやく緊張感がとれて
「富士見峠」まで「焼山」山頂を振り返りながら高度を下げてゆく。

この岩山の裏の鎖場を下る


途中で「泊り岩」というところを過ぎたのだが名前どおりに
岩の隙間を利用して避難小屋が作られている。
そこから「金山」までの縦走路と「笹ヶ峰」に向かう下行路がクロスする
「富士見峠」まで少しばかり登り返してそこで大休止とした。

まだ新しい道標

しばらく休んでいると2人の登山者が「笹ケ峰」方面から登ってきた。
談笑を交わしたり情報交換をして気温の上がってきた下行路を再び歩き始める。
それから数名の登山者とすれ違った。
最初に出会った渓谷で水を補給してから撮影に専念するらしい2人を残して
歩き始めたが、ここからが長かった。

富士見峠から下りながら観た焼山


ユキザサの実

支流の渡渉が3回、2回目の渡渉で濡れた石で滑り両足を完全に水没。
靴下を絞って再び歩き出したが不快感と尾根を幾つか廻り込む登下降に
予測していた時間配分の思惑が外れてしまった。
堰堤の姿を見たときは安堵して自然と足が軽くなった気がした。
20分ほど待ってようやく2人も到着して皆で長い下降路を恨んだ。
「杉野沢橋」から「笹ヶ峰」駐車場までだいぶ林道歩きを覚悟していたが
途中でキノコ採りの人たちと出会って彼らが乗ってきた軽トラに
乗せてもらって漸く歩く苦痛から解放された。
帰宅してからの500缶ビール2本は砂漠に注がれた水の様に
体内にしみ込んでいった、

火打山から焼山を超えて①

昨年の「火打山」で出会った見事な「紅葉」にまた会いたくて
昨年よりは少し早目の訪問をした。
(ニュースやネットで高い山は紅葉が始まったとの情報を得たのがトリガー)
最初は小千谷に住むH川氏から「剱岳・早月尾根」に天幕利用の山旅を
誘われたのであるが小生が「鹿島槍ケ岳縦走」を別候補として提案したものの
結局、岩が苦手のY画伯の希望もあって「火打山&焼山」に行くことにした。

土曜日の未明に魚沼を出発し小千谷でH川氏をピックアップ、
恒例となった柏崎まで一般道を走って高速に乗って妙高高原へ・・・
明るくなり始めた「笹ヶ峰」までのグニャグニャ道の路傍には
紅葉が始まったウルシの赤が印象的であった。
登山口の駐車場は満車、キャンプ場側も8割方埋まっている。
好天が続く予報だし、ちょっと早いが紅葉も始まった情報を得ての
人出であろうか。

予定よりは1時間以上早く5:39に登山口をスタートした。
20Kは超えていないが15Kは超えているザックの重さに
久しぶりの腰にズシンとくる圧迫感を覚えた。
(なにしろシュラフ、テントが入っている)
黒沢川までの45分はアイドリングとしては充分で、そこで
着込んだ上着を脱いでコンプレッション・シャツ一枚になった。
「十二曲がり」は難なく登り切りその後の大きな石が連なる急斜面も超えると
妙高山方面への分岐が現われる。

十二曲がり終点直前、朝日に紅葉が・・・


十二曲がり終点

あまり足元が快適でない横歩きがしばらく続くと高谷池ヒュッテの三角屋根が
灌木帯の間から見え始めて「火打山」と「焼山」の姿もチラホラ見えてくる。
高谷池ヒュッテ前のテーブルで大休止となって水を補給したり
行動食を口にしたのだが、登り始めに見えていた太陽はすっかりと姿を隠して
汗に濡れた体は急激に冷えてくる。

赤がきれい

ここまで行くんだ・・・

さてここから「火打山」までは紅葉を愛でながら登る予定なわけで
まずは「天狗の庭」手前の池に映る「火打山」を狙うつもりが
風で池の水が波立って昨年のような鏡に映ったような写真は撮れない。
「天狗の庭」の池でも波立っていたし昨年の紅葉に比べたら紅葉の色つきも少し劣る。

小生は早々に写真は諦めて山頂までの登高に気持を集中させて歩き始めるが
荷物が重いせいか足が階段状のステップにスムーズに上がらない。
太陽が見えず、風もあるから気温の上昇によるダメージがないのに
額から落ちてくる汗で体力の消耗が予測できた。
それでも水分補給の回数が少ないということはまあまあの体調なのだろうか?
山頂では先行していたH川氏が涼しい顔で待っていた。(若さの勝利!)
20人ほどの人たちが寛いでいて今までに経験したことがないこの大山頂での混雑に
先を急ぐ我らは「影火打」に向かって歩き始めた。

縦走の始まり・・

「火打山頂」とは異なり静かな縦走路は整備も整っており
快適に下降を続けた後に「影火打」へ登り返しも難なく終えた。
さて「影火打」から「胴技切戸」まで一気に400mの下降は狭い稜線で急斜面、
かなり緊張感を要求され、疲労度は増してきた。
なんとかヘロヘロになって最低鞍部の「焼山」の麓に到着する。
最初はここで「計画的ビバーク」予定であったがまだ時間がたっぷりあるから
「焼山」のピークを超えて「富士見峠」まで行こうかと話が出たが
小生が体力的理由で反対して当初の予定どおりここで天幕を張ることにした。

過去に誰かがテントを張った形跡のある場所に3張りのテントを設営、
草原が適宜なクッションなって風よけに木立まである素晴らしいロケーションで
つい先日購入したばかりの「寝るだけテント」は他の2人のドーム型に比べると
とても貧弱で見劣りした。
栄養剤を補給して元気が有り余るY画伯は「焼山」山頂を往復してくるという。
小生とH川氏はテントの中でウトウトしたりぼんやりと風景を楽しんだり
すっかり雲がかかって肌寒いものの静かなコルで山の露営場を満喫した。

Y画伯が帰ってきてから湯を沸かしてそれぞれが夕食の準備をして
唯一小生が持参した500缶のビール1本を少しづつ分け合ってとりあえず
今日一日の行程に乾杯してからテントのなかで夕食。
18:00にはシュラフのなかにむぐり込んだがそう簡単に眠れるわけがない。
2時間おきくらいに目が覚めて時計を確認、気温はどんどん低くなって
テント内で7度を切ったのが夜半0時、風が出てきてものの
場所が良いのか木々の枝を渡る音がヒューヒューするだけでテントは静穏。

緊急発信

「御嶽山」の水蒸気噴火の悲報を今日の「焼山」山頂で知った。
噴火の瞬間は我らは「火打山」の頂上直下を歩いている時であると思うが、
山頂では多くの登山客が居たものの、その情報は共有していなかった。
我らは休憩後にすぐに「焼山」への縦走に入ってしまい知る余地のなかった・・・
その後は携帯、ラジオともほどんどが通信不能なポケットに突入したのだ。

同じ山を愛する者として、たまたま「御嶽山」に登っていたというだけで
ご不幸に遭われた人とご親族の人たちに深い哀悼を申し上げたい。
新潟県で唯一の活火山である「焼山」登山は偶然の選択であって、
その場所が違えば当事者であることの怖さを知った。
帰宅してニュースで概略を知ったばかりであるが、まだ信じられない悲劇である。

合掌

西吾妻山

中ノ沢温泉でゆっくりと休息した翌日は
グランデコスキー場のゴンドラを利用した「西吾妻山」を目指した。
旅館を出るときは青空が広がりだして心がウキウキしたのだが
果たして、その想いは強烈に破れることとなった・・・

グランデコの駐車場はガラ空きの状態である。
始発間もない時間帯のゴンドラに乗って登山口に降り立つ。
西大嶺まではほぼ直線的な登りが続く登山道だが
等高線からみると急登ではなく割合と登りやすい斜度だ。


ゲレンデ横にある登山道の標柱

歩き始めは青空が広がって紫外線が強いのでサングラスをしていたが
次第に雲が広がってきて、ついにガスにすっぽりと覆われた。
ポツポツと雨音がしたのだが霧のなかで発生している水滴くらいの
気持でザックカバーだけ付けてウィンドブレーカーのみ着ただけで
歩き始めたがこれが結果的に大失敗。


西大嶺山頂部にある道標

西大嶺には予定時間よりもかなり早めに着いたが視界はゼロに近い
展望は諦めてすぐに西吾妻山に行くための下降を開始する。
一度湿地帯が広がる鞍部に下降して再び登り返すのだが
ちょうど四阿山から根子岳に向かう時のような感じであった。
緩い登り返しを終えると木道がクロスする分岐に出たので
すぐに避難小屋を見つけてザックを下した。


西吾妻避難小屋

すでにウィンド・ブレイカーはぐっしょりと濡れて
下に着ていた長袖のシャツまでもが濡れそぼっている。
いつもなら着替えを持参しているのだが、今回は天気予報からして
汗もかかずに着替えの心配もいらないと前日に取り出していた。
これが大誤算で、避難小屋に着いたときは急激に体温が低下しているのを感じた。
一番下に着ていたコンプレッション・シャツは一応速乾性なので
なんとか体温で乾くと思い、上のシャツを脱いで雨具を着込んだ。
チョコバーをかじって空身になり、N島氏が先に行ってしまった西吾妻、
梵天岩へと小走りに走りだした。


西吾妻山頂部にあった標板

西吾妻の山頂は平凡なシラビソの林のなかにある何の変哲もない場所、
視界がよければ梵天岩や天狗岩などのほうがシンボリックで目立つであろう。
せっかくの草紅葉も少ししか見られず、相方にも追いつけずに避難小屋に引き返した。
(走ったおかげで幾分体温が上昇したが・・・)
小屋ではN島氏が天狗岩から周回コースで帰ってきていたのですぐに湯を沸かしてもらう。
温めたハンバーグとパンの昼食を終えるとようやく落ち着いてきた。
晴れのつもりが初冬のような冷たい雨が降るなんて・・・

小屋で寛ぐ大人数のグループをあとにして下山する事にした。
しっかりと上下とも雨具を着込んでストックも出し、
草紅葉は始まりかけた稜線を駆け下りたらゴンドラ乗り場に近くなって
ようやく雲が切れて太陽が顔を出し始めた。
よくよくついていない山行だった。


ゴゼンタチバナの実


雨の中リンドウだけが咲き誇っている

遠くに見えた安達太郎山

下山して漸く見えた左:西大嶺、右:西吾妻山

昨日登った磐梯山も見えた


西吾妻山トレース

会津磐梯山

いつも遠くから見ているばかりだった「会津磐梯山」に
ようやく登る機会を得た。
小学校の修学旅行が会津方面で「猪苗代湖」、「裏磐梯」、「桧原湖」と
廻って磐梯山の中腹まで登った記憶があったが山頂までは登っていない。
その後、五色沼や雄国沼を訪問することがあっても
なかなか登る機会がなく近くて遠い山であった。

神奈川の友人が遅い夏休みをとって新潟に来るので
それでは福島県の山でも登ろうということになって温泉が近くにあって
お手頃の山ということで「磐梯山」を選択した。
前日は須原の小屋に泊り翌朝R252を使って福島県に入った。
会津若松を通り過ぎて猪苗代湖の湖畔にある猪苗代スキー場の
ゲレンデ横から始まっている「赤埴林道」を走って「沼ノ平」のすぐ下にある
駐車場から歩き始めた。


沼ノ平から磐梯山

すでに3台ほどの車が停まっていたが、駐車スペースは充分にある。
少し急な斜面を登りきるとすぐにゲレンデからの登山道と合流し、
平坦な湿原地帯(沼ノ平)を横切って尾根に出ると桧原湖が眼下に広がった。
明治21年に火山が爆発して吹き飛んだ跡が生々しく残っている岩肌は
今までに見てきた火山の山々が見せる様相と同じである。


稜線から見た裏磐梯側


山頂はガスに隠れたりまた頭を出したりと必ずしも好天とはいえないが、
それでも気温が低いのでさほど汗もかかずに弘法清水小屋の前に飛び出した。
にぎやかな声が聞こえていたのは「イワキ」から来た小学生の遠足登山の団体、
どうやら八方台から来たらしく100人ほどの子供たちが集まってきていた。
給水だけしてすぐに山頂までの急斜面を歩き始めたがガスは晴れそうにない、
残念ながら展望のない山頂は肌寒いだけで早々に引き返す事にする。


弘法清水小屋

「弘法清水小屋」は売店と無料休憩所になっており
その片隅を借りて食事をすることにした。
用意した「マイタケご飯」とカップ麺が美味しく感じたのは
体が冷えていたせいか・・・
食後の珈琲もミル持参のN島氏が丁重に淹れてくれて
小屋の女主人にもふるまったりしてしばしの談笑を楽しんだ。

「沼の平」付近の花が綺麗なこと、「赤埴山」の紅葉が見事なこと、
初雪が降る頃まで小屋は開いていることなどの情報を仕入れて
温まった体を再び登山道へと送りだした。
最短コースを選択したせいか1時間もかからずに駐車場に着いて
宿泊予定の「中ノ沢温泉」へと向かう。
湯量が日本一(毎分1万3千400リットル)であることや
源泉かけながしの硫黄臭たっぷりの大好きな湯であることが宿を選んだ理由、
もちろん素泊まりで好きなものを持ち込んで飲食できることも選択肢のひとつ。
温泉で温まった体にビールがグイグイとしみ込んでゆき
柔らかな布団につつまれて沈殿。


中ノ沢温泉・花見屋旅館の露天風呂


磐梯山歩行ルート

宝剣岳・岩稜のスリル

「西駒山荘」での一夜、1人1枚の布団で優雅な睡眠を貪っていたが、
夜半の雨と風に屋根裏部屋の窓側に寝ていた小生は
途中からほとんどコマ切れの睡眠時間となって朝を迎えた。
5:30からの朝食は「とろろご飯」と少々の副菜、
スタッフが少ないし避難小屋に毛の生えた厨房の規模だから
ほぼ予想通りのメニューだが、まさか「とろろ」とはあっぱれ!
ごはんをすすり込むには最適な食材、良く考えたレシピである。
さらにみそ汁は美味しいし、暖かい食事が頂けるだけで有難いと思う。

小屋に入るときに説明のあった「袋回収式トイレ」は
昨年の北海道で山中で利用するトイレと同様なシステムであろう。
(北海道の場合は自分で持ち帰る、西駒は別途回収容器が設置済)
実に合理的で環境汚染を考慮したシステムであると感心して
使わせて頂いたが、他の山にも広がることを祈りたい。

雨は止んだがガスが濃いなかを再び「宝剣岳」に向かって
登り返すわけだが、途中でピークを迂回して沢筋を通るコースだ。
晴れていれば急峻な岩稜を仰ぎながら草花が豊富な水辺近くを歩く
楽しみを満喫できるのだろうが視界が悪いとひたすら歩くのみ。
それでもアキノキリンソウ、ウメバチソウ、トウヤクリンドウ、
トリカブト、シオガマ類などが咲く光景を楽しんだ。
圧巻は視界不良なら中止の「宝剣岳」までの歩行と岩尾根の下降路を
楽しんだことであろうか。クサリ場とハシゴの連続、
切り立った岩稜のトラバースとアドレナリンだ出っぱなしの時間帯であった。


宝剣岳のサミット


宝剣岳からの岩稜(ここを歩いた)


登山ルート(青:1日目GPSデータ、赤:2日目、加筆)

予定よりも早い下山で、温泉で汗を流した後のビールを十二分に満足できるうれしさ、
プロのドラーバーが運転する会員制のバスツアーの魅力だろう。
恒例の「飯山・豊田の道の駅」でリンゴを買って2日間の山行を終えた。

思い出は忘却の彼方へ・・・・

木曾の「千畳敷き」へ出かけて行ったのは何時のことだったか・・・
当時は都会でサラリーマンをしていた若い頃なので、
スキーに生活のほとんどを注ぎ込んでいたのが思い出される。
雪を求めて、雑誌等で得た少ない情報を基に5月のGW頃から
高い山の界隈を彷徨っていた時に行った思い出がある。

駒ヶ根までの交通手段は当然まだ「国鉄」であり、
ケーブルと唯一の宿泊場所は現在と変わりなく「千畳敷カール」に
面したホテルであった気がする。
1日に3本ほど、スキーを背負ってカールを登り切ってから滑降する
そんな単純な行為を繰り返して満足していた情熱が迸る時期であった。

さて今回は市民登山ということで「木曾駒と宝剣岳」登山ツアーに参加した。
「奥只見山岳会」主催の中型バスで行く1泊のお気軽登山の予定であったが
天候不順にハラハラしたり、宿泊する山小屋の情報が少なかったりと
少し心配された山旅であったけれども、
終わってみれば貴重な体験をした山旅だった。


千畳敷きカールからの山々

ケーブルの山麓駅は標高1700m、山頂駅は2600mで
一気に1000mを数分で登ってしまう国内唯一の高所ケーブルとのこと。
山頂駅からはすぐに登山道が始まるあたりは立山・室堂と同じである。
青空が広がってきて気温は15度ほどの絶好のコンディションで
「千畳敷きカール」を登る事そのものは標高が高い割に楽で
気温が低いせいもあるのか少し汗ばむだけで歩いてしまった。
乗こしから「木曾駒ガ岳」までの平行歩行も全く問題はなく
中岳を超えて幾つかのp-クを超えたら着いてしまった。
しかし宿泊する「西駒山荘」までの縦走はけっこう長い、
「将基頭」の手前にあるかの有名な聖職の碑の石碑を見たときは幾度か活字で読み
映画も2回ほど観た思い出が蘇って少しセンチメンタルになった。


「聖職の碑」の石碑

心配した「西駒山荘」は今年新築された公立の山小屋で
実に清潔で、寝具も新しく充実していた。
心配された雨も降らずにややガスが出てきたものの
早めに到着した我らは野外のテーブルに陣取って大宴会。
ほぼ初対面の人たちが酒など飲みながら語らうひと時は
どんなに時代が変わろうと人種が異なろうと楽しいものだ。
さて夕食は有名な「西駒んカレー」で孟宗竹の筍が入った美味な味、
持参したワインを少々飲みすぎた小生は2次会に参加せずに沈殿。


西駒山荘の俯瞰

晴れたら・・・

昨日から2連続の晴れが続くようで
登山道も乾いただろうからトレーニングを兼ねて
恒例の「大力山」詣でを行った。

出発はやや、遅くて9時少し前になってしまったが
登山口には軽自動車が1台停まっているだけで
それでも「クモの巣」払いをしなくて済みそうだと
少しばかり安心して歩き始める。

今回は猿の団体にもマムシにも会わずに登った。
休憩舎では先行していた単独の男性が休んでおられた。
ザックに携帯型蚊取り線香を吊るしてラジオなどを
聞きながら景観を楽しんでおられる様子で
先にげざんしていった。
小生は今日はかなりの軽装で来たわけで、
冷たい麦茶とネクタリンを1ケ持参したのみである。
そそくさに食べ終えて、山ノートに記録してからすぐに下山する。

早い水田では稲刈りを終えた跡が見受けられる風景、
日照不足で全国的に野菜が高騰しているが
お米だけは不作であってほしくない。
昨日新たになった「安倍内閣」は「地方創生」を謳ったが
他方2,30年後には消滅する地方自治体が予想されている。
どんな将来が待ち受けているのやら・・・

ひさしぶりに晴れた三山