月別アーカイブ: 2015年3月

大力山の雪解けは早い

恒例の「大力山」詣はS氏が仕事の関係で一人旅、
7:30に家を出て登山口に向かう。
駐車スペースには軽ワゴンが一台のみ、
まだ早い時間だからかな?

けっこうな放射冷却だけれども昨日ほどでもない、
スパイク長靴のみのツボ足で秋葉神社まではアイドリング。
拝礼をすまして上着を脱ぎ、手ぬぐい鉢巻。
プラ階段あたりに人影をみとめるが軽ワゴンの人か、
足の裏にやや弱い凍み渡り感覚を感じながら
グイグイと体を押し上げてゆく。
不思議なもので久しぶりのスキーで感じていた筋肉痛は
3回目からは無くなって今朝は体も軽い。

満開をむかえたマンサク

雪に埋もれた枝からも咲くマンサク

舟窪では夏道をたどり最後の急斜面だけは
冬道のトレース上を歩いた。
ところが途中の木の枝が隠れてところでスッポリと嵌ってしまう。
両足がヒザまで埋まったがなんとか脱出に成功、ちょっとショック。
そこから休憩舎までは堅いトレース上を快適に飛ばした。
一人だと珈琲は沸かさずに日本茶とテルモス珈琲、
干し柿と文旦ピールを食べながら穏やかな市街地を眺める。
下山したら4台のチェーンソーを整備せねばならないし
午後はO嶋氏の「百名山」講演を聴きに行く予定なので
早々に下山することにする。

屋根が出た休憩舎

休憩舎から見える自宅付近

結局犬を連れた単独行の男性は上の舟窪でパスしていたが
珈琲を飲んでいる間に山頂方面に去ってしまい
下山途中では2名の男性ペアとクロスしただけであり
週末の良い天気なのにちょっと寂しい大力山であった。

今季一番の快晴!!

27日のお昼頃にメール、旧知のH川氏からである。
予ねてより計画していた「湯沢スキー」に出かけるので
お会いしませんか?とのお誘いであった。
H川氏とは30年ほど前に残雪期の「八甲田山」で知り合い、
時折便りが届いたり、東京のビジネス街で偶然出会ったり
守門岳をご一緒したり、また北海道の旭岳で出会ったりした事がある。
同じ春スキー(山スキー)が好きな事もあって
フィールドで出会う機会も多かったのだろうか。

天気予報が日本列島中、最高の晴天を約束しているし
平日の貴重な晴れ間は「山かスキー」と思っていたので
「スキー」をご一緒する約束をして当日に至る・・・
今季最大の放射冷却で伐採した桜の枝を挿したバケツの水が凍った。
約束の時間に間に合うように久しぶりに「湯沢」までドライブ、
湯沢駅で空身のH川氏をピックアップして「ガーラ湯沢」へ。
氏はレンタルスキーを一式借りることになって手続き、
勇んでゴンドラに飛び乗った。

大パノラマ1


大パノラマ2


大パノラマ3

ゴンドラ山頂駅から見える魚沼の山々のパノラマに感嘆の声をあげ
準備運動もそこそこに早速リフトで中級コースを2、3回滑って
自分の調子を確認する。
H川氏は北海道の小樽生まれで山スキー歴は40年ほどの大先輩、
ただこの数年は病気をしたりで用具を処分してしまい、その後は
3年間のブランクがあるというが、それなりに滑っておられた。
自転車と同じでスキーも体が覚えてしまうのだろう。

思ったより雪質は快適でスキー回転はスムーズである。
休憩はリフトに乗っている時間のみという
怒涛の回数稼ぎで休憩なしでお昼まで滑り込んだ。

さて昼食はビールを少々頂きのんびりと昔話を楽しむ、
レンタルの締切時間が2時ということなので最後は
リフト最高点からコースを選択しながら長い下山コースを下ることにする。
ゴンドラで降りるにはあまりにも勿体無いし・・・・
午後になると雪質はやはり腐り始めて滑走面にブレーキがかかり
何度も停まって呼吸を整えて山麓駅になんとか到着した。

帰りは湯沢の外湯「山の湯」で昔ながらの温泉を楽しみ
湯沢駅までH川氏を送り届けて帰宅した。
これで2年ほど大ブランクのあった「ゲレンデスキー」の
リベンジを果たしたと同時にのこりの1ケ月ほどは
残雪山歩きと春スキーを楽しむことにしよう。

来年以降の薪つくりで多忙・・・

最終的に、今年は4つの現場で「伐採・薪作り」をやっている。
総ての現場で「伐採」のみは終えて
自宅の敷地内に運び終えたのが1現場のみ。
他の現場は「伐採」を終えた樹木を切ったり枝を捨てたり
好天が続いて残雪の上でのチェ-ンソー仕事が順調に進んだ。
各現場ごとにコロの山ができているのだが家の周りがまだ2mを
越える残雪で運び込む場所を作るのが大変だ。

「胡桃」「ハリギリ」「ヒマラヤ杉」などの薪材料を
45cmほどのサイズに切りそろえて山にしてゆく。
いつも2台のチェーンソー(40cm)を用意して
現場に出かけるのだが大木を扱う場合は50cmの中型機を
それに加えることが多くなった。
1m近い直径の樹木はやはり中型機でないとパワーや切り込みが
不足して作業が進まないのである。
そしてついに20年近く使ったスチールのチェーンソーが壊れたのだが
同じモデルは数台持っているのでそれは部品取りとして
修理しないことにした。
現場仕事がひと区切りついたらバラバラに分解してみようと思う。
若い時から電気製品(PCも含む)は分解組み立てを良くしていたが
エンジン駆動の機械類は苦手であるのだが・・・・

残り少なくなったテラスの薪も「寒の戻り」で降る続いている雪が
終わったら4月中旬くらいに綺麗に片付くだろうが、
夏までにまた来シーズン用として薪置き場から運んで積み直すことになる。
3年分のストックを乾燥した順に運び上げる単純作業、
「伐採」とコロ作りで汗を流し、「薪運び」で再び汗をかく、
そして「薪ストーブ」で燃え上がる火を見ながら暖を取る。
昔から「薪ストーブ」では3回、体を温めると云われているが
これが究極のエコなのだろうか?

東京では桜が「開花」したとか、魚沼はまた新たに雪が
少しばかり積もった・・・。

ダブル・ヘッダー

またと無いほどの好天に誘われて
まずは「大力山」へ登ることにする。
8:00スタートはそれほど早くないが
車が1台のみ、それにR太郎氏の車も旧家の前に発見。
一応カンジキは持参したがS氏ともどもスパイク長靴で
歩き始めたが昨日に歩いた跡が妙に歩きつらく
途中からトレースを外れて歩いたが「凍み」のおかげで
沈まずに歩くことができた。

途中でR太郎氏の姿を見つけてコールする。
気温が高い割に汗はそれほどかかないものの
久しぶりの歩行と昨夜の宴の影響か足が前に進まない・・・
R太郎氏の出迎えをうけて休憩舎前に到着するが
一度顔を出した屋根はまた雪の下に隠れている。
恒例の珈琲タイムを経て速攻で下り
途中で登りに見つけられなかった「マンサク」をパチリ、
隊列を組んで登ってくる団体2組とスライドしてパチリ、
何時になく多くの訪問者を迎えて「大力山」さぞ喜んでいるだろう。

三山もよく見えた


毎年ながらマンサクが咲くと雪解けを感じる

枝が邪魔だけど団体さんは隊列を組んで・・・

午後は新調したXCスキーとアルペンスキーを積んで須原に向かう。
案の定XCスキーは30年ぶりで歩くのがやっと、
アルペンは2年ぶりなので緊張して滑る。
思った以上に雪質が悪くなっていてスキーを抑える
脚力の減退に加齢の現実を思い知る。
若い時なら「グサグサ雪」大好きなどと云って
コブ斜面にどんどんつ込んでいったのに・・・・
まあ、怪我をしないうちに引き上げることにして
須原の小屋で関東から来た若い連中と談笑を楽しむ。

今日は普段使わない筋肉が悲鳴をあげている。

薪つくりシーズン開始

降雪が落ち着いてくると「薪割りシンジケート」の活動は活発になり、
それは一本の電話で始まった。
杉の大木の高さが高すぎて一般的な伐採方法では
倒すと住宅に影響が出そうな場所での作業である。
クレーン車など使うと費用が莫大なので
その木を登って先端から順番に切り落としてゆく手法を
検討することになって依頼がきたわけである。

小生の知り合いで若い時から伐採の仕事をしていた関係で
一般的な伐採はもちろん、住宅街での樹木の先端から切り落として
ゆく方法を実践できる数少ない職人が居る。
一度現場を見て、彼の都合の良い日に実施することにして
小雨が降る日に実行した。

依頼者や仲介者である「シンジケート会員」や小生が
見守る中、スルスルと杉の木を枝を切りながら(小さなチェーンソーで)
先端付近まで登って行ってまずは5mほどの先端を落とし
次は途中まで降りてさらに5mほどの中間部を落とす。
落とした範囲はその杉の木の数メートル以内であるから
全く住宅には影響は与えず、最後は残った10mほどを
元から樹林帯に倒し終えた。
お見事・・・・
因みに内側に爪の付いた金具を両足に固定して
樹木にくいこませ、腰に木の周りに回したロープを
その張り具合だけで調整しながら両手をフリーで
作業している。

さらにその隣にある「ハリギリ」の大木も倒すことになって
(この木のほうが時間がかかったが・・・)
杉と違って枝が横に大きく張り出した部分を
切り落としてから、やはり根元からギリギリの距離で
道路側に倒し終えた。
まさに拍手喝采の作業である。
「ハリギリ」は「シンジケート会員」や知り合いの人たちが
薪材としてもらい受けることになった。

もう一つの現場も住宅街に面した斜面、
「胡桃」の葉にアメリカシロヒトリが異常発生するので
かなりの数の樹木を伐採してほしいとの依頼。
とりあえず数本を倒した。(これはシンジケート会員のみで実施)
雪の溶け具合を見ながら運ぶ予定である。

お茶の水界隈今昔

冷たい雨の降る中を久しぶりに「お茶の水」界隈を歩いた。
以前は上京しても訪れる回数が少なかった「JR・お茶の水駅」の
「お茶の水橋」側で下車して「駿河台交差点」までの緩い坂道は
ギターやサックス、ドラムなどカテゴリ毎の店がウィンドー越しに
楽器を並べた歩道である。
昔は大きな店しかなかったのにと思いながら、
さらに改装された大学の校舎などを横目に目的の店に向かう・・・

「お茶の水」界隈を歩く目的は3つほどあって、
まずはXCスキーを探すことと古本屋を覗くこと、
そして旧い店の存在を確認することであった。

さて、あれだけあった「スポーツ店」は様変わりしていて、
そのほとんどが「ボード」と「アルペンスキー」しか扱っていない。
著名な「山専門店」ですらXCスキーは見当たらなかった。
そして「さくら通り」の古本屋もほとんどが店仕舞されていて
ひところは特定の専門誌を扱っていた店すら無くなっていた。
ネットで新本、古本が買える時代だし、人口が少ないXCスキーなど
店頭に置くはずがないか・・・などと肩をすぼめて
とぼとぼと「小川町」「淡路町」「秋葉原」へと歩き続ける。

「秋葉原」の町も「爆買い・中国人」の観光バスだけが目立ち
「ゲームソフト・専門店」が増えて「ハードウェア」を求める小生は
再びここでも足早に通過するだけだった。

以前は「蒸気機関車」が飾ってあった「交通会館」跡には
何やら大きなビルが建っていて「再開発」の進歩に驚く、
まあ、一歩路地に入れば火災から再建された「やぶ蕎麦」や
「揚げ饅頭」の「竹むら」も「鮟鱇鍋」の「いせ源」、
「鳥鍋」の「ぼたん」を見つけてほっとする。

「揚げ饅頭」の「竹むら」

「あんこう」の「いせ源」

「とり鍋」「ぼたん」

まだ懐かしい「まつや」で蕎麦をたぐりながら一杯傾ける時間には早く、
「須田町」交差点を渡り切ると老舗の果物屋があった「万惣ビル」が現われる。
フルーツショップの階上には小さなレストランや階下には中華料理屋もあったが
その店舗すら見当たらないリニューアルされたビルを見ながら
ホロ苦い青春の思い出が脳裏を掠めた・・・・。
さらに「神田駅」方面に歩くとうなぎの老舗「きくかわ」が旨そうな匂いを漂わせ
20代前半から勤務していた神田「多町・司町」が近くなった。
「司町」の角にあった「立ち食い蕎麦」の店は「まつや」の出店で
あの濃厚な「蕎麦つゆ」の香りが未だに無性に恋しくなったりする。
「八手屋」の胡麻油の強いカリカリに揚がった天麩羅が
特徴的な「エビ天丼」はまだあるのだろうか・・・

前夜に山の友人と痛飲した「三州屋」を横目に最後の目的とした
「タマキスポーツ」にようやくたどり着いた。
東京で働いていた頃に使っていた山とスキーの用具はほとんどがこの店で
そろえたから、かれこれ40年になるだろうか。
痩身の親爺と話好きな伯母さん、そして情報通の長男、
スキー滑降の選手だった弟とチャキチャキ江戸っ子お姉・・・
今はご両親と長兄は彼岸に行ってしまい、姉と弟が店を継いでいる。
昔と変わっていない店の中は珍しい用具やXCスキーが満載、
最初からこの店にくれば良かったのかな・・・・
まだ小生を覚えていてくれたお二人に再訪を約束して店を出て
1万5千歩を歩き続けた千代田区の散策を終えた。