月別アーカイブ: 2015年12月

ゆく年くる年

なんと穏やかな大晦日であろうか。
放射冷却で凍り付いた車庫前の一角がテラテラと輝いている。
やがて冷気は朝日の温もりに促されるように昇華し
魚沼の里山を濃い霧となって漂っていた。
今年最後の大力山に足を運ぶことも考えたが
大晦日には雑事が待っているのでそんな思いを振り払う。

須原まで借地代を支払いに車を走らせて
なんとかオープンに間に合った「須原スキー場」のゲレンデを
遠目に見ながら、あと何年くらいあの斜面にシュプールを
刻むことができるか考えてしまった。
24歳の頃に初代の山小屋を構えてからすでに2代目も
20年を過ぎてしまい、スキーを履く暇もないほど
自分を取り巻く環境が変わってしまったことを憂いてしまう。

それでも明日は恒例の「大力山」への元旦登山が決まっているが
またひとつ齢を重ね老体に鞭打って歩むことにしよう。
それでは皆様良いお年をお迎えください。

年の瀬

先週の週末は関東からの友人が須原にスキーに来て
土曜日の宴会だけは付き合って久しぶりに痛飲、
おかげで翌日の快晴登山はできず、午後も所用でインドア。
月曜日に知り合いのブログを見たら皆さん新雪ラッセルを楽しんでいた。

昨日は先日歩いた桑原山~鳴倉山の縦走路を切り開いた
グループのお一人とお会して色んなお話を聞いた。
ほんの数か月、3・4人の完全ボランティアによる作業とのこと。
今後は黒禿までコースを伸ばしたいとの話だったので
時間的にスケジュールが合えばお手伝いする旨を申し出る。
大力山の登山道整備と併せて黒禿経由で周回コースが出来上がれば
魚沼の里山にも大きなエポックが提供される。

年末に発表される「惜別の人物象」は週刊誌や購読している
小説誌の年末恒例特集であるが、
直近では「野坂昭如」氏が亡くなった事をニュースで知った。
氏は父親が新潟県副知事であったこともあって少しばかり親近感を覚え
多彩な才能と破天荒な行動に大いに驚いたものである。
晩年は脳梗塞を患い永眠。
自らを「闇市派」と標榜し戦争の悲惨さを色んな作品で書いているが
早口で独特の口調がTVで見る姿が印象的であった。

オール読物で紹介されていたのは「阿川弘之」、
最近は娘の佐和子氏がTVやエッセイで有名であるが
文才は遺伝するのかな・・・
軍隊経験者である氏のエッセイは若い時に随分読んだ思い出がある。
そして「佐木隆三」、大事件があると必ずTVでコメントしており
彼が通った法廷の数は驚くほどで、ノンフィクション作家として
書いた重大事件をテーマにした作品は良く読ませていただいた。
「船戸与一」氏の作品も地球規模の冒険小説が多くて
自身が早稲田冒険部出身であった事などから見たら頷ける作風であった。
さらに最近好んで読んでいた「宇江佐真理」が亡くなった事は残念で
つい最近「杉本章子」(つい先日の12月初旬に亡くなった)
と乳ガン闘病の対談をしていたが、「オール読物」に
連載していた「髪結い伊三次捕物余話」はそのほぼ全部を愛読していたから
治療を続けながら書き続ける姿勢に頭が下がる思いであった。
新潟出身の「火坂雅志」も亡くなり他にも多くの作家が彼岸へと旅立った。
多くの先人作家の皆様に合掌・・・
直木賞・芥川賞が年間に2回もあって他にも読む本が多いせいか
昔の「活字中毒者」としては読むペースが衰えて苦労している。
暖冬小雪であれば少しは積んである本が減るかな・・・・

噂の現場へ(桑原山~鳴倉山)

今日も午前中は天気が良いはずだったのだが、
朝から雲が薄く漂っていて太陽の顔は見えなかった。
おかげで放射冷却はやや弱くなって霧も出ていないし
心なしか冷気は昨日の比でなく普通の12月だ。

前日の茶のみ話で「桑原山」から「鳴倉山」まで
有志が切り開いた縦走路を歩いてみようとなったわけである。
8:00前にY画伯と待ち合わせて2台の車で出発、
1台は鳴倉の登山口近くに停めてスタートしようとしていたら
近くに停めてあった車から呼びかけられて少々会話。
その方は縦走路を切り開いた有志の一人だったわけで、
これからそのメンバーが残りの作業をしに登るのだと云う。
我らは先行することにして再び「健保センター」へ向かう。
駐車場にはすでに数台の車が・・・

全く初めての山なわけで「30分くらいで着くよ」という言葉を
信じて歩き始めたが、最初から急な滑りやすそうな登山道で
スパイク長靴にしておいて良かったと思う。
体が温まってきて途中で上着を脱いで帽子から
手ぬぐいハチマキに替えるほどの急登だ。
先行していた3人グループをパスしたら
先に山頂に到着していたY画伯がどこかで見た顔の人と話していた。
なんと「魚沼の山」さんである。
魚沼付近の山をはじめ劔や北アルプスを疾風のように駆けている方で
早朝から「桑原山」と「鳴倉山」を往復してきたという。
驚いてしまう・・・

桑原山から見た駒ケ岳


真新しい標柱


鳴倉山はけっこう遠い

さてここからが縦走路で「涸沢山」までは平行移動で最後に少し登るだけ
切り開いたばかりの道はそのほとんどが腐葉土のふわふわしたもので
刈り取った切り株が邪魔でなければ快適な遊歩道だ。
ここで単独行の男性とクロス、車を保健センターにおいて自転車で
鳴倉山の登山口まで戻ってから縦走を開始したとのこと。
われらはさらに「トヤの頭」までは一度下降して再び登り。
さらに「鳴倉」にむかって急な斜面に切り開かれた山道は一気にコルまで下って
「鳴倉山」まで舗装された林道が近くまで迫った場所に到着。
ここで顔見知りの「コバイモ」さんと出会う。
今日はよく顔見知りに出会う、やはり新しい登山道の体験山行か。
あとは小さな2つほどのピークを越えると「鳴倉山」の山頂に到着する。

いい眺めです


あとは一度下って登り返すだけ

最後まで太陽は姿を見せなかったが360度の展望で見えた山々は
それぞれの標高に相応しい雪の姿を見せてくれて
厳冬期前の白と群青色のコントラストを楽しんだ。

魚沼市街地の展望

晴天が続く魚沼の里

あまりに晴天が続くものだから残った砂利をザックに入れて
9:00に自宅を出て大力山に向かった。
すでに数台の車が停まっている・・・
お寺の境内にも数台が、随分と人手の多い日だなと思ったら
秋葉神社過ぎたあたりで高圧線鉄塔に人が登っている姿を確認、
このあたりで鉄塔に登って作業しているのは初めて見た。
新潟県や群馬県の山には鉄塔保守用の作業道が多くて
登山道とクロスしていたりして道を誤る事もあるのだが
上手く利用すればけっこう楽に藪山にも登ることができるのである。

だいぶいい感じ

一昨日に続いて再び2段ほどに砂利を敷き詰めてから
休憩舎に向かってノート記帳、昨日は「山頂標記板」交換の為に
地元の方が登ってきて作業した旨のメッセージが記録されていた。
チョコレートをひとかけらを暖かいお茶で流し込んで下山、
途中で男女一組のグループ、鉄塔作業員の人達とクロスした。

まだまだ積雪が足りない八海山


日陰には霜の名残も


いつまでも実が落ちないツリリンドウ

良い天気も明日までで終わるかもしれないが
太陽が出ている時の野外活動を楽しみたい。

インディアン・サマーもしくは小春日和

昨夜から青空が広がりつつあるのを確認して
朝の冷え込みはある程度予想できたが、思ったより暖かい。
午前10頃まで所用を済ませて大力山に向かう。
以前に用意してあった砂利が若干見つかったので
階段に敷く予定と休憩舎に下げておいた「山バッチ」の案内パウチが
施工ミスで(パウチした後に穴を開けたら、そこから雨水が侵入)
ダメになったので交換する為の作業登山。

隙間を埋めるために砂利を敷く


三山も前よりは少し積もったかな・・・

半袖Tシャツの上にベストを着こんだだけの薄着で登るが
やはり汗ばむほどの気温である。
駐車スペースには車が2台停まっていたが先行者の姿は
休憩舎まで見当たらず、周回コースに回ったかクロハゲ方面か。
休憩舎では補修作業を行った後に着替えてお茶を数口飲んだだけで
下山するが、途中でなんとワラジを素足で履いて小走りに登ってくる
剃髪した若者とすれ違う。(たぶん彼が噂の八海山の修験者か)
その後は積雪期によくお会いするご婦人のグループに出会い、
世間話の途中で「山バッチ」の案内をしてご購入頂く。
有難い・・・

赤とんぼまだ飛んでます

雪下しの雷

昼前に稲妻を伴って雷鳴が轟いた。
この数年は北風ではなく西若しくは南西の風が吹くのが
冬の降雪前に現れる現象であるが
温暖化のせいで寒気の下降と気流の流れが以前と変わったらしい。
海沿いのJR線が運行見合わせになるほどの強風、
そして雷鳴、やがて雨が霙に変わったけれども
結局雪にはならなかった。

気持ちはすでに冬を迎える準備が整っているのだが
肉体がまだ受け入れてくれずに悪天候の中を
散歩などに出かける気分が出てこない。
ほとんどの外業(アウト・ドアでの作業)を終えているのだから
氷雨の降るなかわざわざ雨具を着て外出するのもどうかな?
できれば本でも読むのが最善なのだが、悪天が続くとなると
だんだん読む本が無くなってしまうから
しょうがなく適宜に外をウロウロすることにしている。

先日の伐採の折に「ツル・ウメモドキ」の蔓を伐採した樹木から
引きはがして持ってきた。
以前に貰って来た「ウメモドキ」よりは大きな実を付けたもので
ツルをリングにしたら簡素なⅩ’masリースができたので
玄関ドアに括り付けて早めの年末モードに突入。

伐採途中で赤い実がだいぶ落ちてしまったが・・・