月別アーカイブ: 2016年8月

台風一過

迷走台風10号が異例の東北上陸を終え
下北半島を抜けて去った。
心配なのはこの春に訪れた弘前付近の林檎が
無事であったかどうかである。
岩木山の麓に広がった林檎畑が印象的だったせいか
台風の風で収穫前の果実が落ちることが
いかに生産者の心を挫くものかは筆舌に尽くしがたい。

魚沼の里には雨が続いたものの
黄金色になりつつある稲穂には影響はなかったようだ。
雨上がりの朝、気温は低く半袖・短パンは厳しいが
日中の気温は30度を超えるとか。
このまま朝晩と日中の気温差が大きければ
見事な紅葉が見られるかもしれない。

数日前にR太郎氏から出来立ての「岩魚の燻製」が届いた。
何度か頂いているが数年間の沈黙を終えて再開した渓流釣り、
釣った魚を美味しく食べる為の努力を惜しまない
釣師の意気込みが伝わる一品である。
日本酒の温燗が恋しくなる夕べにでも頂くことにしよう。

飴色に仕上がった岩魚

飴色に仕上がった岩魚

雨上がりの大力山詣で

小出祭りの最終日も雨模様でやや肌寒かった。
恒例の土曜日・「大力山詣で」はスタートを
1時間遅らせて低い霧が取れてからにした。
2人とも短パンから長ズボンにしての歩行で
いかにも涼しくなったことを表している。

クモも活動が鈍くなったのか数は減って
ストックを振り回す回数も少なくなった。
途中、先頭を歩いている小生にS氏が
「居た居た」とアピール、
今シーズン初めての蝮との出会いである。
数年前は1日に数匹見つけ、
ついでにR太郎氏が採取して「マムシ酒」を造ったこともあった。
最近は静かなブームになっているらしく
欲しがっていた人に一本を提供した。

休憩舎に着く頃にはさすがに夏の陽は強く
スタート時の涼しさにまけずに汗でシャツがぐっしょり。
冷凍のスイカと甘味を頂きながら恒例の珈琲タイム、
下山の用意をしていると先週会ったヘルメットを
被ったおじさんが登ってきた。
今日はもう少し先まで行ってみるそうだ。
さらに2人ほどの登山者とクロスして
雨上がりの爽やかな大力山を後にした。

大気中のチリが流されてクッキリと見える八海山

大気中のチリが流されてクッキリと見える八海山


駒も中も良く見えた

駒も中も良く見えた


ジンバイソウもまだまだ咲いている

ジンバイソウもまだまだ咲いている

この気温の落差は・・・

小出祭りの花火打ち上げが心配される空模様のなか
南アルプルの北岳から間ノ岳、農鳥岳と縦走を続けていた
友からメールが入って無事に下山したことを知る。
登山届の緊急連絡先が小生になっていたので
順次入るショートメールで動きは把握していたが
北アと云い南アと云い主要な稜線は携帯の電波が届くという
昨今の通信事情には驚く。
昔ならトランシーバー持参しか連絡手段が無かったのに・・・

30年近く、友人のS田氏は南アルプスに嫌われていた。
小生が知っているだけで4回ほど出発間際に天候や仕事で
一歩も南アルプスに足を踏み入れることができなかった。
今年も出発タイミングを1ケ月ほど見計らってようやく出発、
台風が上陸前になんとか縦走の夢を果たした。
(因みに小生は20代の半ばに縦走を終えていたが、あまりに
当時と小屋や登山道の様子が異なるのでアドバイスはできず)
いずれ酒でも飲み交わしながら白根三山の話でも盛り上がるだろう。

細かい雨が降る中で最初の花火が上がった時は驚いた。
中止するには勇気が必要だし、決行するにもリスクがあるが・・・
テラスの屋根の下からカメラを構えていたがカメラの機能に
腕がついてゆかずに良い絵は撮れなかった。
昨夜の蒸し暑さと当夜の涼しさの落差に驚いたし
今朝の肌寒さには熱い珈琲が嬉しかった。
小出祭りが終われば夏が終わるというのが
地元の定説でもあるらしい。
さあ、澄み切った青空の元で秋の山歩きが待っている。

<< 以下は稚拙ではあるが花火の写真列挙 >>

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秋の息吹を探して・・・

旧盆を終え稲穂が心なしか頭を垂れてきて
店の店頭には夏野菜から秋の野菜へとバトンタッチが行われ
拙宅の畑の「鷹の爪」も赤くなってきた。

陸奥の旅では車の運転だけで体を動かさなかった為
体重が少し増えてしまって元に戻らない。
そんな事もあってか今日も「大力山詣で」を実行、
やや遅い出発になって7:00過ぎに登山口着。
すでに2台の車が停まっているので「クモの巣」払いの
責務を負わなくて済むことで歩行は軽やかだ。

車の記憶は当たっていて7月の早い時間に出社前に
登ってきた南魚沼の青年が今日も登って来たらしく
途中でクロスして挨拶を交換。
もう一組は(ノート記述によると)湯之谷の2人連れで
やはり途中でクロスした。
結局休憩舎では一人で給水と小休止のみで早々に下山、
途中で先回ツボミだった「ジンバイソウ」の開花を確認する。
栗のイガが色づき始めていて秋の歩みを感じた。

魚沼市の遠望

魚沼市の遠望


ジンバイソウ1

ジンバイソウ1

ジンバイソウ2

ジンバイソウ2


栗も色づく

栗も色づく

陸奥周回旅(3)

東八幡平から高速に乗って南下するも
さすがに「お盆」である、それなりに混雑しているが
SAで「盛岡冷麺」を旧友の為に買って南下を続ける。
「鳴子温泉」宿泊はこれで3回目、いずれも素泊まりで
本格的な自炊はしていないが飲食の用意をしてから
いつもチェックインしている。
今回は旧友が地元の名物である「鯉の甘煮」と「鯉の洗い」を
宿に届けておいてくれたと云うから持込料理は少ない。
途中で「鳴子駅」で待つ友と連絡をしつつ無事に合流し
20数年間の時空は埋められないが手短にその間の経過報告。
陸奥の温泉をほぼ踏破している彼の温泉談義を拝聴し
自分の温泉好きのレベルは入門者程度だと自覚、
再開を約束して今宵の宿「姥乃湯旅館」へ向かう。

典型的な自炊宿の部屋

典型的な自炊宿の部屋

チェックイン後に友が預けていたメロンと鯉料理を手に
部屋に案内されたが典型的な「湯治場」部屋である。
隣の部屋との間仕切りは「襖1枚」廊下との間は「障子戸」のみ
プライバシーなどというのはほとんど無い。
昨年泊まった「大沢温泉」もそうであったが布団以外は
ほとんどがレンタル(扇風機、浴衣、TV・・・)
たまには文明とは乖離したひと時も良いかとTVも扇風機も無い
静かな環境で倹しい宴を張る。
リオのオリンピック結果すら気にならない厭世の感があるが
適宜な晩酌を終えると運転疲れか睡魔が襲ってくるので
敢えて反抗はしないで21時には沈殿。

やはり4時半には目覚めて朝風呂に向かう、
宿の4種類ある湯の一つである硫黄泉が良い。
露天風呂で朝の冷気を味わった後に内風呂の硫黄泉に
ゆったりと浸かってから朝食の支度をする。
まずは湯を沸かしている間に珈琲豆を挽きつつ
ドリップの用意を終えた後に
珍しくパン食にするつもりなのでトマトやネクタリンを
洗って切ったり玉子スープの用意をする。
湯治場の部屋で洋風の食事もなんだかな・・・
と思いつつも美味しく頂いた。

姥乃湯旅館

姥乃湯旅館

チェックアウト予定まで時間があるので友が勧める「滝の湯」へ
入りにゆくことにして急坂を登り、線路を渡って「鳴子温泉駅」方面に
向かうと案内が表示されてあってまずは神社に参拝
共同浴場のオープンにはまだだいぶ時間があるが外で待つ。
常連(地元住民)の人達も集まりだして早めに扉が開いた。
内部の撮影は禁止なので言葉で紹介すると
共同浴場によくある態で脱衣所と湯船の間はガラス戸一枚
硫化水素ガスを逃がす為に天井が高くて開放感があり
2種類の湯が木製のトヨを使ってガンガン供給されている。
奥にはやや温めの湯、手前はそれなりに熱い湯舟があるが
まずは温い方でゆっくりと地元の方と語らいながら浸かり
最後に熱い湯で体を引き締めてから揚がった。

滝の湯前景

滝の湯前景

宿のチェックアウト後はひたすら一般道を山形県を縦断して
米沢から喜多方に抜けて只見から六十里越えをして魚沼に向かう
予定なので早めに出発して山間の道路をひた走った。
昨年は尾花沢で西瓜を買ったな、あの店だったかなとか
あの「道の駅」ではあんなものを買ったなとか
記憶を辿りながらいつのまにか山形市に着いた。
最近マスコミでも紹介されている「冷やしラーメン」を
食べる予定で有名店に行ったら11時前なのに長蛇の列、
並んでまで食べる気もないので日本蕎麦屋に行ったらそこも
駐車場に車が停められないほどの混み様。
結局お土産を買う予定で入った施設に隣接する
小さな冷房も無い仮設のような店で食べた「冷やしラーメン」が
それなりに美味かった。(店構えからして観光客は来ない)

約1千キロのロング・ドライブを走り終えた。
まあ新たに購入した中古のインプレッサも良く走ってくれたし
設置したばかりのドライブレコダーのお世話になるような事故にも合わず
大好きな陸奥への旅をつつがなく終えたことは嬉しい。
次回はゆっくりと温泉+山の度に出よう。

陸奥周回旅(2)

何時もと同じ4時半に目覚めると朝焼けが市街地を赤く染めていた。
昨夕スーパーで調達した早めの朝食を食べて6時半には
ホテルをチェックアウトして岩手県へと向かう。
八幡平に住む姉夫婦に頼まれていた物を届ける用件と
年老いた義兄にできるだけ会う機会を増やそうと考えての訪問、
そして7月末に登った「槍ヶ岳」を30年ほど前に一緒した
甥とそのファミリーと久しぶりに会う事も目的の一つであった。

横手から一度、秋田市に向かって走ってやがて大曲から角館に向かう
何度か走った道であるが心配した道路の混雑は皆無、
やや涼しいほどの冷気のなか(外気17°)窓を開けて走る。
仙北市を過ぎる頃に左手に「秋田駒が岳」の姿が見え始めたが
秋か初夏に「秋田駒が岳」から「乳頭山」まで縦走し「乳頭温泉」で
汗を流した後にバスで戻ってくる旅を夢見ている。
さて、雫石近くの「道の駅」では車中泊をしている多くの旅人たちに遭遇、
最近は温泉施設を併設した「道の駅」が増えてキャンピング・カーや
計画的・車中泊をする人たちがたむろしている。
水道は使い放題、トイレは清潔、畳がある休憩所などもあったりするので
「低級遊民」には最高のロケーションであるが、
小生が利用する目的は「道の駅」に泊まることではなく、あくまでも
登山の為のベース・ポイントなのである。

すでに「雫石市」に入った時に岩手県入りをしていたわけで
滝沢市に入ると左手に「岩手山」の姿が見え隠れする。
ひたすらに山裾の道路をカーナビが指定してきているので
初めての市街地道路を八幡平に向かって走り続けた。
漸く見慣れた「滝沢の分れ」に出て西根に向かう。
最後のトイレ休憩で「道の駅」にて地元の野菜などを物色、
「トウモロコシ」「枝豆」などについ手が出てしまう。
すでに魚沼で「八色西瓜」「湯上り娘(枝豆)」
新潟で「白根の桃」などを買い込んであるが
親から独立して盛岡市郊外に住む甥ファミリーの子供も
大きくなっているから食べるものは迷惑ではないだろうと・・・

焼け走りから岩手山

焼け走りから岩手山

さて、ここからカーナビは今まで通ったことの無い「焼走り」方面へと誘った。
岩手山がどんどん近くなって不安になってくるが
けっこう走っている車も居たし、カーナビを信じて車を走らせる。
義兄の住む別荘地のかなり上の方に出てしまったが
幾度も通った「森の湯」の館をみて安堵する。
10時前には到着して甥ファミリーが到着するまで
久しぶりに四方山話しに花が咲いて一つ目の目的達成。
お昼過ぎに到着した甥ファミリーと昼食をご一緒した後に
そそくさと八幡平を後にした。
次なる目的地は今宵の宿である「鳴子温泉」
20数年前の同僚がその地の近くに移住したので
会うことが目的のひとつで「自炊の宿」宿泊はもうひとつの目的。

義兄が自慢の薔薇園の一枝

義兄が自慢の薔薇園の一枝

陸奥周回旅(1)

所謂世間で云う「お盆休み」に大胆にも旅を企てた。
お正月、5月のGWと同じ位道路も混雑、宿も高くて空きが無い、
そんな悪条件の中でそれも車で移動するなんて無謀だと思ったが
実家というものが無くなって久しい環境下であるし
平素から「低級遊民」を名乗っている素浪人としては野宿覚悟で
数日前に決定ししたのであるが、なんと家人も同行する事になってしまって
素泊まりの宿を必死に探した。

この墓の字は亡兄のかな?

この墓の字は亡兄のかな?

実家は無くても両親と長兄の眠る墓はあるので
お盆の前に墓参(新潟市内)をした後に病弱の姉を訪ね、
そのまま陸奥へ車を走らせる予定でいた。
11日の早朝には大力山で良い汗を流したし
12日は朝から気力・体力が充実し張り切っていた。
いろんな道具を積み込んでまずは新潟市内へ、
1日早い墓参であるが墓守が翌日にお盆行事を執り行うだろうから
簡単に花とお線香のみのご挨拶。
新潟中央ICから山形県境までは高速を利用して
あとは一般道をまずは秋田の横手まで走る予定である。
色んな温泉地の安価な宿を求めていたが皆無、
それに自炊宿など数が少なくなっていてなんとか
ツインで5400円のビジネスホテルを見つけて予約しておいた。

象潟通過中に見えた鳥海山

象潟通過中に見えた鳥海山

横手の駅前というロケーションは最高だが
地方都市は疲弊しており閑散としている駅前通り、
さらにかなり老朽化したホテルで一目見て頷ける価格である。
(しかし素浪人の旅人は雨露を凌げれば可としてる)
それにちゃんとクーラーも効くし黴臭さも無い、部屋も広いし
目の前が飲食店で素泊まりの環境としては最高である。
何時もの事であるが、まずはスーパーで地元独特のお惣菜を探す、
そして事前調査してあった「B級グルメ・横手焼きそば」を食べさせる
居酒屋にgo!(生ビールと焼きそば、あとは数品のつまみ)
2次会は部屋でワインとWスキーのを飲んで早めに沈殿・・・

早朝・大力山

昨夜、町内の山仲間S氏からメールがあり
「明日の4:30から登りませんか?」と誘われたので
ありがたくお受けしていつもよりは早く起きて
3:30には準備が整った。

夏至をとうに過ぎてしまった昨今では4時を過ぎても
まだ明るくならないのでヘッドランプも用意した。
荷物は冷たい水の入ったテルモスとスポーツドリンクのボトル、
凍らせたスイカが数片とネクタリンが1個。
朝食前だがこのところ大食気味なので空腹感はない。

予定通りの時間に歩き始めたが
秋葉神社あたりでヘッデンなしでも歩ける明るさに、
20度ほどの気温であろうが歩けば汗ばんでくる。
長い縦走を終えたばかりのせいか体は軽いし
朝の爽やかな空気は体中に精気を漲らせる。

朝陽が山の陰から・・

朝陽が山の陰から・・

市街地がガスの中に

市街地がガスの中に


八海山にも朝陽が当たる

八海山にも朝陽が当たる

休憩舎に到着する頃に山の陰から太陽が顔を出し始めた。
市街地はスッポリと朝霧に覆われて雲海の様相、
八海山の山襞にも陽が当たって赤くなり始めた。
恒例の珈琲が出来上がる前に果物でクールダウンして
朝の貴重なひと時をゆっくりと味わう。

こんな朝早くは誰も来ないよなと思いながら
下り始めたらなんとトヤの頭~駒の頭間の登山道開発で
ご一緒したI氏が登ってきた。
しばし会話をしてスライドする。

ミヤマウズラ・旬を過ぎたかな

ミヤマウズラ・旬を過ぎたかな

まだ咲き始めたばかり

まだ咲き始めたばかり

今年は「ミヤマウズラ」の花は見なかったねなどと話しながら
足元を見たらやや盛りを過ぎたものが数株、
早くも「ツリリンドウ」が咲いていた。
北アでは秋の花が咲き始めていたから山はすでに
足早に秋が近づいているのかもしれない。
シャツも短パンも汗でぐっしょりになって登山口に到着、
7時前に自宅に着いてシャワーを浴びたら無性に
ビールが飲みたくなったけどもグッと我慢して
何時もの米飯を食べて暑い一日がリスタート。

30数年ぶりの槍ヶ岳訪問(エピローグ)

山旅は自宅の玄関を出たところから始まって
下山後無事に自宅の玄関に入るところで終わるのが
一応のルーティンだと思っている。
今回も全員が怪我や大きなトラブルもなく帰宅できたことは
喜ばしいことである。
若い時にありがちな一時の勢いで山に登ったり
無理な工程をがむしゃらに突き進んだりすることは
この年齢になると事故の元になるので極力避けてきた。
交通の利便さや登山道の整備、宿泊施設の完備によって
すこぶる楽に入山できることに慣れてしまった昨今
基本に戻って自分の体力や技量にマッチした山旅をすることを
心して今後も山に対峙してゆきたい。

<<槍ヶ岳へのアプローチ>>

1.上高地から槍沢を詰めるのが一番スタンダードであるが
  とにかく平坦歩きが長くて小生はあまり好きではない。
2.西穂高経由で奥穂、北穂、南岳と至るコースは
  以前は王道と云われていたが西穂独標から奥穂の間が
  脆い岩片が積み重なったナイフリッジがあったり
  ジャンダルムなどの危険区域があるので上級者むけである。
3.上高地から涸沢に入り、そこから北穂に登って
  南岳に至るのだが途中にキレットがあるので
  それなりの技術が必要と思われる。
4.新穂高温泉から飛騨沢をさかのぼって、
  「氷壁」で有名な滝谷を通過して飛騨乗越に駆け登る
  急峻なコースである。(未踏破)
5.北アの裏銀座と云われる双六から尾根伝いに登ってくる西鎌尾根も
  入山のアプローチが長くて歩く人は少ない。(未踏破)
6.今回の東鎌尾根は大天井からの縦走がスタンダードだが
  水俣乗越から核心部のみ挑戦する人もまれに居る。
7.最も困難とされる北鎌尾根はビックリ平から一度
  槍沢と反対側の沢に降りてから道なき道を辿る
  まさにバリエーションルートで当然一般人は近寄らない(未踏破)

「槍ヶ岳」の姿は遠くから見るとスイスのマッターホーンに似た
様相はあまりに有名だが、肩の小屋からは容易に登ることができる。
最も高所恐怖症をクリアできる人ならばである。

 
<<水とビール>>

コースによって飲料水として沢の水などが利用できるが
今回は荷物を軽くするために極力小屋の水を利用することにした。
小屋によってはポンプ・アップしている場合と天水の場合があり
天水は沸かして使うのが一般的。(1Ⅼ:200円ほどか)
ビールはほとんどの小屋で入手可能、350缶で500円が
一般的で運ぶ苦労を考えたら安いものか・・・
いずれにしても水物は重いので北アは小屋購入が良いかと。

<<自炊・食料>>

以前は「農協ごはん」「サトウのごはん」などの重いものを
持参していたが味付けされたアルファ米の軽いものを持つようになった。
少々高価であるが荷物の重さに比較したら大いに利用したい。
最近はインスタント・ラーメンもけっこう嵩張るので
極力行動食と朝食はパンにしたりしている。
ゆっくり食べるのは夕食だけで朝と昼は行動食を主に考えた。
もちろん食事内容は各自の自由だけれども昼食の時間は特に設けず
お腹が空いたら休憩時間に各自摂っていたのが今回の実績。
山での食事は楽しみでもあるのだが2,3泊の縦走では
ザックの重さもあって献立が難しい。

<<着替えなど>>

小屋泊りだとそれなりに考えるが天泊ではよほどでないと着替えない、
(防寒用に着替えやミドル・レイヤは持参するけれども)
まあ、せいぜいが消臭スプレイやウェットティッシュで誤魔化す。
最終日にすれ違った人は鼻をつまんだかもしれないけれど。

<<反省と今後>>

出発前からザックのパッキングで悩んだが
結果として食料が少し余ってしまった。
足りないくらいの量で不足分は小屋調達も北アではアリかと思う。
新調したスポルティバの靴とインソールはまずまず機能を果たしようで
マメや靴擦れは起こさずに下山できたことは嬉しい。
雨具や靴などは自分の体を守る生命線なので購入は熟慮したい。
ザックの重さと行動時間は反比例するのでザックの軽量化は
重要な永遠のテーマであると思っている。
さて次なる山はいずこへ・・・

槍ヶ岳山頂での4人の記念写真(O嶋氏提供)

槍ヶ岳山頂での4人の記念写真(O嶋氏提供)

30数年ぶりの槍ヶ岳訪問(3)

深夜2時頃にmbaba氏がヘッドランプを点けてもぞもぞしている
トイレに立ったついでに外に出たら星がすごいので撮影に出かけるという。
早い時間に寝たので眼はすっかりと覚めており小生も出てみたら
確かに空には無数の星が瞬いていた。
外気温も3千m近いのに思った以上に高い。
就寝ブースに戻ると他の2人も起き始めて出発の準備を始めていた。
自炊テーブルでストーブに火を点けて軽い行動食を採り
カメラ、水稲だけ持ってヘルメットにヘッドランプを装着、
3時半頃から肩の小屋に向かって歩き始めると槍の穂先に向かって
ランプの光の列が動き始めていた。
肩の小屋の宿泊客なのだろうが、ずいぶんと早い行動だ。
30分ほどで肩の小屋に到着してすぐに岩場に取り付くことに、
最初から鉄梯子の連続で順番待ちの渋滞ができている。
見ていると年配者やいかにも初心者の人たちが取り付いているのだが
梯子の途中で休憩されたら堪らない、渋滞も頷ける。
なんとか山頂に立って写真を撮ったあとは日の出を待たずに
下降にとりかかった。

槍の穂先から肩の小屋

槍の穂先から肩の小屋

朝陽に紅く染まった穂高連山

朝陽に紅く染まった穂高連山

富士山も見えた

富士山も見えた

肩の小屋から槍の穂先

肩の小屋から槍の穂先

朝陽に輝く南岳と花たち

朝陽に輝く南岳と花たち

肩の小屋で一息入れたあとは朝日に照らされた槍の穂先や
穂高連山の姿を愛でながらのんびりと「殺生ヒュッテ」まで歩いた。
あとは腹ごしらえをして荷物を纏めて出発するだけで
小屋の朝食が始まるころには荷物を整えて下山を始めた。
大きな石がゴロゴロした槍沢の登山道を下りながら振り返ると
青空に映えた槍の穂先が印象的だ。
帰る日に漸く晴れ始めた山の天気の難しさを恨めしく思いながら足を速めた。

槍ヶ岳1

槍ヶ岳1

槍ヶ岳2

槍ヶ岳2

天狗原分岐を過ぎた頃になると登りの人たちが増え始めた。
水俣乗越分岐では韓国から来た若者グループに地図を見せてと
お願いされたmbabaの様子を見ていたら彼らはなんと
「東鎌尾根」方面へ向かって歩き始めたのには驚いた。
(地図も持たない人が「東鎌尾根」を越える大胆さに・・・)
ババ平野営場、槍沢ロッジと標高を下げてゆくと登る人たちと
クロスする事が多くなって挨拶が面倒になる。

槍沢の下りでは漸く花の写真を撮る余裕が

槍沢の下りでは漸く花の写真を撮る余裕が

トリカブト

トリカブト

フウロウ

フウロウ

コオニユリ?

コオニユリ?

ババ平から見た東鎌尾根

ババ平から見た東鎌尾根

横尾をすぎ、徳沢園あたりでは気温も上昇、道も平坦になるし
サンダル履きの観光客ともクロスし始めると疲労度もアップ。
ひたすら足を運ぶだけのルーチンワークの苦役だが
夕食時間に魚沼に帰りつく為には午後の早い時間に上高地を
出発せねばならないのでがまんして歩き続けた。

途中で駆け出したmbaba氏や得意の高速歩行と休憩しないO嶋氏とも
ようやくゴール近くで一緒になって歩き始め、
懐かしの「小梨平野営場」を過ぎ「河童橋」を横目に見て
ひたすらバスターミナルへ、ここはもう観光地なのだ。
汗臭い重い荷物を持った登山者はマイノリティとなっている。
そそくさとタクシーに乗り込んで沢渡で待つマイカーの元に向かった。
30年近い昔の思い出はセピア色にかすんで新しくなった「釜トンネル」や
新たに増えたトンネル、広くなった道路に驚異しつつ
今年のロングツアーが無事に終わりが近いことにご同行の皆さんに感謝!!